Looking for 2023 (1) Fediverseサーバーを運営した1年
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序
Fediverse Advent Calendarなるものがあり、かつ枠が残っていないことを今更知ったのだが、私もちょっと話したいことがあるのでここに記す。
なお、この話の核となる部分は「お上品な」Misskeyサーバー Stellanautの話で既に述べている。
また、本記事は2023年の振り返り記事の前半でもある。
Fediverseとの出会い
そもそも私はTwitterを始めたのがかなり遅く、2014年に始めた。 それまで隠居生活を送っていたわけだが、表舞台に復帰するにあたり、アカウントを作ったのだ。
実はTwitterを始めるにあたり、私は周囲と色々揉めたのだが、その話はおいておこう。
当初からアカウントは「本名・顔出し」であった。セルフブランディングの一環として始めたものだから、当然ではある。 ただ当時は「はっちゃけた企業アカウント」が人気の時代だったから、私もそれなりにアグレッシブであった。
私は「ウェブクライアントをそのまま使う」という感覚はなかった。 というか、私はウェブ技術が結構嫌いだった。 最初の頃はV2Cを使ってTwitterをしていたが、ほどなくしてMikutterに移行した。
私はスマートフォンを使い始めたのも遅いし、PHSだったし、私が使っていたスマートフォンは使い物にならないクオリティのものだったので、「外でTwitterをする」という感覚はなかった。
だが、試みたことはある。 当初はTwiccaを使っており、K4000ProになってからはSobachaとYukari4aを使っていた。 Yukari4aは、追放されるその日までずっと使っていた。
私がどういうユーザーであったかと言えば、「ものすごくツイートが多いわけではないが、常時Twitterは立ち上げている」タイプだった。 傾向としてはねとらぼの記事をシェアすることが多く、Twitterだけでつながっている友人たちとよく話していた。 私にとって世の中のインターフェイスの大部分を占めており、Twitterがなくなるとかなり困るなと思っていたものだ。
そんな頃に出会ったのがMastodonだ。 私はもう消してしまったが、2017年5月にmstdn.jpにアカウント登録している。 これはmstdn.jpとしては初期のほうだ。
登録して使ってみたものの、肌に合わなくてすぐ離れた。 理由は、ユーザーがオタクの人ばかりで、発言が全体的に非常に攻撃的だったからだ。 勘違いされがちだが、私は基本的にオタクではないし、どちらかと言えばオタクが苦手だ。
この手のものではありがちではあるのだけど、日本でインターネット上の発言可能な新サービスを始めると、ほとんどがオタクで占められてしまい、意図するか否かによらずそうでない者を排斥してしまう。 mstdn.jpも当初そういう感じだったし、それ以前にそこにいる彼らと話す話題がなかった。 私はバイクの話やコンピュータの話をしたかったのだ。
Twitter離れ
多くの人は、「TwitterはTwitterの運営の問題で人々が離れたのだ」というように言うが、少なくとも私と私の周りではそうではない。 そして、私はそれを「時代の空気の問題」だと思っている。
私はかなり気を使って「負担のない、クリーンな」タイムラインを構築していた。 それは、「攻撃的な発言、粗暴な振る舞いをする人はブロックする」ということを徹底してもいたし、フォローする相手はだいぶ選んだ。
しかし2016年頃から、そのような人たちさえ多くの不平不満を書き連ね、攻撃的・排除的・断定的な物言いをするようになっていった。 もっと言えば、差別を生じる断絶を招くような発言が増えた。
私のTwitterライフの中心だったねとらぼも、差別的・攻撃的な記事1を載せるようになった。 Twitter企業アカウントの雄であったシャープも、「批判されることをしても応援してくれるファンが大事」などと言い出した。2
必ずしもTwitter上の話でもなく、面白いことをやっていた企業が、無難で安全な「正しさ」を押し出す路線に変えるということが目についた。 端的に言えば、つまらない社会になった。
そしてこれは企業の話ではなく社会の話であり、それまで愉快な話をしていた人がそんな話をしなくなり、変わりに攻撃的な発言をするようになったり、営業的な話をするようになったりした。 だんだんとリプライを飛ばすこともなくなっていった。
2018年にMikutterが使えなくなったが、この時にはTwitterを通して社会を見ることにもうあまり価値を感じていなかった。 そして、Twitterをやめることで社会と断絶するという感覚もなくなっていた。そもそも、Twitterで交流する人がもはやいない。気がつけば、いつの間にか姿を見せなくなっている人も多く、タイムラインは1日分を遡るのに数ページスクロールすれば事足りるほどになっていた。
この時やめてもいいと思ったが、Tweetdeckを使ってみたら思いの外使いやすかったので、使い続けることになった。 だが、あまりにも重いことと、挙動のひどさから好きにはなれなかった。 なお、Twitter公式webクライアントはfcitxで日本語入力ができないため論外だった。
いつ頃だったか忘れたが、サードパーティクライアント完全追放の噂が出てきた。 だいたいその頃だったと思うが、私にとって最後の「中の人が愉快だからフォローしている公式アカウント」であるアツギの炎上騒ぎがあった。 あれは完全に放火だったが、顛末はとてもひどいものだった。 アツギの中の人とはよくリプライを飛ばし合っていた。そういうフレンドリーな人だった。 私にとっては最後の「楽しいTwitter」要素がなくなった。
そして私はTwitterを見るのは、「電車での移動中かお手洗いの中、手持ち無沙汰のときだけ」になっていた。 普段スマホを持たない私だけど、スマホでしかTwitterをしない。そして、Yukari4aが使えなくなったら、それはTwitterとのお別れの時だと思っていた。 ただ、「リンクをインデックスさせるため」に記事のURLをTwitterに投稿する必要はあった。
2023年に入り、サードパーティクライアント完全追放が現実の話として話されるようになった。 私には「SNSを完全にやめてしまう」というのを含めていくつかの選択肢があったが、外部からコンタクトを取れないのはさすがに少し困る。 そこで私はFediverseに居心地の良い場所を探す旅に出た。
短いMisskey.ioの日々
まずはもともとアカウントのあったmstdn.jpだが、戻ってきたjpはシモネタまみれ、というか幼稚な性的欲望を垂れ流す場所になっていた。 とても会話する気になどなれない。
話題になっていたVivaldi Socialはなぜか日本語が圧倒的に多いが、既に内輪ノリが激しくてやはり私には受け入れられない。
そうしていくつかのサーバーを転々としたあと、たどり着いたのがMisskey.ioだった。
私はMisskey.ioを気に入って、そのアカウントで活動することにした。 1月のことである。
当時、Misskey.ioはDAUが500人くらい、同時接続は300人くらいだった。 登録者数は4000とかだっただろうか。 コンピュータ技術系の人が多かったが、様々な人がおり、誰もいない時間帯はあまりなかった。
そんなMisskey.ioを気に入っていたのだが、ほどなくして急展開を迎える。 Twitterから大量のユーザーが流れ込んだのだが、私の嫌いなオタクノリが持ち込まれた。 しかも、Misskey.ioは「オタクのためのサーバー」などと言われるようになり、そうしたものを好まない身は排斥された。
仮にそれがなかったとしても、LTLがイラストとバズったRNで埋め尽くされている状態では利用のしようがない。 イラスト(かなりの割合で卑猥なもの)は見たくないし、そこにいるメリットがない。 また、Misskey.ioは不安定にもなった。
最終的には7月に私はMisskey.ioを出ていき、自身のインスタンスである宇宙庭園へ引っ越した。
Fediverseサーバーを運営する
私の最初の公開Fediverseサーバーとなったのはqouopである。
qouopは私がストックしていたドメインで、これを利用してAkkomaサーバーを建てた。
これは前述のようなMisskey.ioの変化の過程で作られたものである。 ioではしづらい、弱音を吐いたり、真面目な話をしたりしやすい場所が欲しいということだ。 これは、ある程度の賛同を得られた。
しかし現実には変化の只中にあり、ioの変化はそのような範疇ではなかった。 結果的に、qouopはニーズがなかった。
qouopはopen for registrationなAkkomaサーバーであり、大きな特徴として非ログインユーザーに対して非公開ということがあった。 Akkomaの運用ポリシーは特殊だが、基本的には公開サーバーとして運用された。 ただし、少人数向けである。
qouopは当初ConoHa VPSに建てられた。 もうGMO全解約に向かっていた時期だが、試してみるには手っ取り早いサーバーだった。 4GBメモリである。
Akkomaを4GBメモリのサーバーで動作させること自体は問題ない。というか、動かすだけなら1GBメモリでもいける。 ユーザーへの開放を前提としないなら、メモリよりはストレージのほうが苦しくなる。なにせ、ストレージはどうしても利用量が増加していくのだから。
OSはもちろんArchlinuxだ。 この前提でいくと、AkkomaはMastodonやMisskeyと比べてかなり導入しやすい。 Misskeyのインストールが簡単というのは、導入スクリプトが使えるUbuntuでの話になり、本質的にはMisskeyのインストールは比較的しんどい。それに、その条件が許されるのならAkkomaやPleromaはOTPインストールが使える。 AkkomaはArchlinuxにおいてほとんどガイドの通りに進めるだけなので、かなり簡単だ。注意が必要なのは、Systemd Service Unitの設定ぐらい。
インスタンスを運営する上では、最も留意すべきはリーガルポリシーになる。 Fediverseインスタンスは非常に越境しやすいので、そうした点にも注意が必要になる。 当然ながらこれには法的な知識が広範に必要だ。「別に大丈夫だろう」などというつもりでやるなら、もちろん不運にも収監されて人生が台無しになったとしても文句を言わない覚悟ができているのだろう。 私はそういう目にあいたくないし、それを仕方がないことだと受け入れる気持ちもないので、かなりしっかりとやっている。
だがそれでもqouopは実験的であり、そのあたりは緩かった。 仕様に対する理解も足りていない。セミクローズドなインスタンスであるということから許される部分もあったので、そのあたりは随時やっていた。
しかしこの時点から重要視し、大事にしていたのが「公平性」だ。 運営者はその行為が何者によってなされたかということで不公平な扱いをしてはならない。 ルールの運用には一貫性が必要であり、そこに個人の意思が介在しないようにしなくてはならない。
それは全利用者を守ることにつながるからだ。 ユーザーは守るべきことが何かを知ることができ、逆に言えばそれを守る限りその利用は保護されると信じることができる。 それを侵害した者にとっても、侵害した内容を把握することができ、その対応を予測することができると共に(BANされるような内容でなければ)今後その侵害を起こさないように振る舞うことができる。 もちろん、侵害された者がいる場合、その申告が適切に処理されると信用することもできる。
これは規模が大きくなるほど、守られていなければ直ちに破綻してしまう部分である。
テクニカルな話で言えば、Akkomaサーバーの運営は難しくない、というかむしろやることがない。 普通のサーバーメンテナンス程度だ。 availabilityに関する取り扱いなどは必要だが、それは私にとって今までのサーバー運営で慣れた話に過ぎないし、Fediverseサーバー固有の話ではない。
しかし「コミュニケーション空間を運営する」という点においては労力を割く必要がある。 運営者として適切な振る舞いをし、場を維持していかなくてはならない。
ただその点に関しても、qouopは「知っている人ばかり」というユーザーであったから、やや緩めではあった。
qouopはその後StellanautのあるVultrサーバーに統合され、ConoHaは解約した。 そして長く利用がなかったことから、閉鎖に至った。
Stellanautという「居場所」
qouopは急ごしらえだったが、Stellanautはそれと比べて入念に準備された。 目指すは「文化的侵略から守られる居場所」だ。
StellanautはMisskeyサーバーである。 「紳士淑女のための」と掲げているが、穏やかで丁寧な空気を作りたかった。
そのためにあの手この手を尽くしているが、それでうまくいくかは確信がなかった。 ある程度実験的だ。
しかし長期運営を前提にしている以上、利用規約は相当練った。 法的な意味もそうだし、Stellanautという場所を決定づける部分もそうだ。
果たして、Stellanautはその意図を汲んでくださるユーザーの方々に支えられ、順風満帆の船出を迎えた。 そうした意味での運営は順調だったが、Misskeyというソフトウェアにはそれなりに手を焼いた。
当初はやはりサーバーリソースの問題が大きい。 MisskeyはRedisを使っていることもあり、メモリ消費量が多いのだが、起動しているとメモリをどんどん消費しつづけるという問題があった。 現在は軽減されているが、サーバーホスト自体の定期的な再起動が必要なレベルだった。
MisskeyはMisskeyのアップデートに失敗することもあれば、システムアップデートによって動かなくなることもある。 これまで4度「手で直す」を経験しており、油断ならない。
運営としてはユーザーの方々の協力のおかげで全く苦労がない。 運営者としての振る舞いは、基本的には口出ししないものの問いかけには答えたりするし、ロールプレイ要素の一部にもなっている。言ってみれば、ゲームマスターのような存在だ。
Stellanautは現在も存続しているが、決して活発ではない。 しかし、いられる・戻れる居場所として運営されているため、qouopと違い投稿がなくても維持される。
Stellanautはある意味では社会実験のようなものではあるが、そうした点はおいておくとして、私はStellanautを維持していくし、それはStellanautの1プレイヤーではなく、原則管理者としての関わりだ。
これはFediverseのひとつの側面なのだとも言いたい。 Twitterの場合はサブコミュニティが形成されやすい状況があって話が複雑だが、SNS以外のコミュニティも含めて基本的には「強勢に駆逐され染まりやすい」性質を持ったものであり、それはMisskey.ioが圧倒的な存在感を持っているのもそうだろう。 マイナーな存在に目を向けようとする者はそもそも少ない。それどころか、異なる者が存在することを許せないという姿勢を見せる者も少なくない。 これにより、強いインスタンスに集いやすく、強いインスタンスでは主流でない者への排撃が行われ、また異なるインスタンスに対する攻撃的な姿勢が生まれ、最終的に強いインスタンスの中で自分の意に染まるよう求める者が増えていく、という側面がある。
一方で、Fediverseにはそうそう強制し得ない自由も存在している。 他に馴染まない者にとって居場所となれる、他とは違う性質のインスタンスも存在できる。 それは、利用者が増えにくい、存続が難しいといった壁を伴うものではあるが、可能なことだ。 そういう多様性、そして異なる存在を受け入れられる場所を作りうるというのは他のコミュニティではなかなか難しい、Fediverseでこそ可能な挑戦であると言える。
それを可能にする大きな要因が、「他と異なるという選択が、断絶を意味しない」ということにあることも覚えておくべきだろう。
宇宙庭園
宇宙庭園は私がMisskey.ioからメインアカウントを移すことを前提として作ったインスタンスだ。
もうちょっと複雑な話をすると、私のTwitterアカウントのうち技術的なアカウントはJLinuxer Socialに、オタク属性寄りのものは宇宙庭園に移行し、それとは異なる流れを汲む「Fediverseメインアカウント」はMisskey.ioから宇宙庭園にに移行した。
実のところ、宇宙庭園が作られたのはそもそも私がFediverseに居場所が見つけられなかったからだ。 そして、私は居場所が見つけられなかった要因をなるべく一般化して、同じようなことを思う人のために場所を用意した。
宇宙庭園は次のような特徴がある
- 画像投稿に厳しめの制限がある → 「会話すること」を求めている人、画像まみれのTLに困ってる人に良い
- Repeatに制限がある → 「会話すること」を求めている人、バズりや人気ユーザーが支配的になっているTLに困っている人に良い (公開タイムラインにはそもそもrepeatは載らない)
- エロにかなり厳しい → 氾濫するエロに苦しめられている人に良い
どれも割とインターネットで得難いものになっているので、潜在的にはかなりニーズがあると考えている。 今のところ登録ユーザー数はStellanautよりも少ないが、そこそこ活発である。 公開投稿しているのが私だけなので、公開タイムラインでの交流が生まれていないのが残念だが……
宇宙庭園の大きな特徴として、長期運用を前提としてかなり手を入れているということが挙げられる。 それはシステム的な面でもそうだが、法的な対策なども含めてかなりしっかりやっている。 Stellanautも長期運用を前提にしているが、リスクという点も含めて考えると、宇宙庭園はStellanautよりもずっと「存続しやすい」ものである。
suji tech運営のものはそうそう潰えることはないと思うが、ひょっとしたらそれに次ぐレベルで残せるかもしれない。
Fediverseインスタンスというのは建てるのは簡単だが、運営していくのは難しく、畳むのはもっと難しい。 長期運営のために必要なことをしっかり用意して建てられたインスタンスはそうないし、刹那的な流行と盛り上がりに乗っかるだけではFediverse全体が潰える可能性を増やすだけだ。
SNSというのは少なからず居場所であり、住処だ。 そこに安寧はなくてはならない。 どのインスタンスもその存在は決して永遠ではないが、可能なら長く続くほうが良い。 Twitterが誕生して17年、Facebookが誕生して19年。 Fediverseインスタンスとしては20年続けば大したものだろう。mastodon.socialが誕生してからまだ7年。それでもGoogle+の存続が8年であったと思えば大した話ではあるのだが、ただ存在しているだけならまだ可能な期間だ。 「20年間アクティブ」はインターネットの世界では途方もなく長い。それを実現するためには、特に有志の個人のものとなれば果てしない労力と覚悟が求められ、なおかつ背負いすぎては成し得ないものだろう。
これは潜在的にはFediverse上のアクティブユーザーがどれだけ残せるかということでもある。 AU数がある程度以上のインスタンスの消失は少なからずユーザーそのものの消失を引き起こすものでもあり、今の流行は将来にとっては大いにマイナスになる可能性だってある。 堅実に活動してきたアーティストがブレイクした後逆に見向きもされなくなるのと同じような話だ。
宇宙庭園は「潜在的にはかなりのニーズがあるはず」と言ったし、ユーザーを増やしたいのは正直な気持ちだが、私にとってはそれは一番大事なことではない。
一番大事なのは「続けること」「あり続けること」だ。 必要とする人が現れたとき、必要とする人がたどり着けたとき、そこになければ意味がないのだから。
それでもまだ始めたばかりだから
Fediverse生活自体は2017年に始めたけれど、ごくたまにログインする程度のものだったから、私にとって本当にFediverseが始まったのは今年になってから。 Stellanautも宇宙庭園も、万全の準備のもとで始めたつもりではいるけれど、まだ1年も経過しておらず、それを語れるところにたどり着いてもいない。
だから求める答ははるか未来に存在し、今は誰も知ることはできない。
私はただ、この挑戦を実らせるために手を尽くすだけだ。