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Done is better than perfect. という言葉遊び

雑感::culture

この記事は、Chienomiを愛読するようなリテラシーのある人にとっては当たり前すぎて退屈なものである。 Chienomi読者でこの記事の意味があるのは、開発経験の少ないビギナーだけだろう。

今回扱うのは

Done is better than perfect.

という言葉だ。 これはFacebookの創業者であるマーク・エリオット・ザッカーバーグの言葉とされている。 日本語の「多分動くと思うからリリースしようぜ」で有名だ。

これは本当にくだらない言葉と、くだらない言葉遊びなのだが、検索したときに「稀代の名言」「粋な名訳」などと持ち上げられているのを見ていたたまれなくなり、筆をとった。

元の言葉は、幼稚なほど当たり前の話だ。

完了させるということ

開発をしていると分かるはずだが、完了させるというのはなかなか難しい。

それは開発に限った話ではないのだが、「作ることができる」のと「完成させることができる」のは話が別で、なかなかゴールにたどり着けない、そもそもゴールが設定できないというのもよくあることだ。

開発をしていて、「もっとこうしたい」「本当はこうのほうがいい」「XのためにはYが必要だ」「ここはまだ不完全だ」などといったものは無限に出てきて、真のゴールに到達できることなど稀だと言っていい。

だが、練習ではなくプロダクトであるならば、ちゃんとゴールまで到達し、リリースすることはとても大事なことだ――それが商業的プロダクトではなく、個人的なものだとしても。

現代的ソフトウェア開発において、リリースは終わりではなく、さらなる改善を施すこともできる。 きちんとゴールを設定し、区切りをつけることはひとつの重要な能力して求められるのだ。

それは、「いや、まだもっとこうしてからのほうがいい」となって終わりがない状態に陥るのは極めてありがちだからこそ、当たり前のことが重要な意味を持つのだ。

経営者としての要求

それ以上に、ザッカーバーグとしては経営者であるという理由から、この要求は切実なものであると言える。

Facebookのようなサービスにおいて、企業価値がその事業価値の根幹を形成することになるためだ。

仕入れと販売の関係が明確なものと異なり、Facebookはファウンダーやユーザーに「どのように受け入れられるか」というのが極めて大きな意味を持つ。 そして、彼らを納得させるためには、Facebookは優れたもので、前進しているということを見せなければならないのだ。

これで、形が何もないと彼らは当然納得しない。 ファウンダーたちは、「目に見える成果」を要求するわけだ。

だから経営者としては、実現していない計画ではなく目に見える成果を求める。 例えそれが不完全でも、目に見える成果があるのであればファウンダーに語るのは簡単なことだ。 そして、ユーザーに期待をもたせる材料にもなる。

「アジャイル開発」は開発側の都合だと思っている人もいるかもしれないが、どちらかといえば商業的な理由のものである。 さっさと出すことで企業活動にプラスに働かせ、フィードバックを得ることで改善させるということと、活発で前進している印象をもたせることで、特にクラウドサービスのような明瞭さに欠ける商品にアピールできる要素をもたせられるからだ。

「いいから成果を出せ、形にしろ」というのは、ごく普通の経営者の要求ではないだろうか。

言葉遊び

元の言葉はとても退屈な、当たり前のことに過ぎないのだが、訳のほうはなかなかシニカルだ。

実際のところ元の意味を言うなら「完璧を求めてないで完遂しろ」という要求であるが、「多分動くと思うからリリースしようぜ」というのは開発者の言葉として聞こえる。

もちろん、軽く考えれば「多分動くと思うからリリースしようぜ」という言葉はいい加減なものだ。 真面目なエンジニアならこう考えるだろう。「ちゃんとテストをしろ、要件と仕様を確認しろ」と。

言ってみれば「チャラい」言葉なのだが、一方で真理でもある。 ソフトウェアとして、「絶対大丈夫」という状態にはまずならない。それが商用プロダクトであれば、なおのこと妥協の産物にならざるをえない。

だが、「動く」と思える段階まで来ているのであれば出すべきなのだ。 実際に動かしてみなければわからないこともある。

チャラいと思うかもしれないが、そういう思い切りが必要なのが開発でもあるのだ。 退屈な要求に過ぎない元の言葉からすれば、なかなかスパイシーで面白い言葉でもある。

が、結局のところ言葉遊びだ。元の言葉とは、やることは一緒でも意味が違う。 “Done is better than perfect!” と発破をかけられた開発チームが「多分動くと思うからリリースしようぜ」と軽いノリで応える、という感じだ。 そんなワードがあれば悩めるときに決断の助けになる。いわば”Take it easy!“みたいな感じだ。

つまらない言葉を投げかけられたときに、同じっぽく聞こえるけど全然違う効用の言葉にしてしまう。 退屈から生まれた遊び心、のようなもので、深い意味などないだろう。