Chienomi

Twitterから移住した話

ニュース::nettopics

2023-01-20にTwitterがサードパーティアプリを禁止にする、という措置を取り、炎上した。 炎上ポイントは過去の経緯もあるが、「規約を更新して、その更新した規約に反しているとしてBANする」という横暴さにある。 正しく言えばこれは誤解であるのだが、これについては最後の解説する。

この行為の問題点はさておき、私としては決めていたことがある。

まず、私が使っているモバイルアプリが使えなくなったら、ほとんどツイートすることはできない(Twitterを見ているのは、ほとんど布団の中や、移動時間なので)ので、Twitterをそれ以上どうにかして利用しようとはしないこと。

Tweetdeckも利用できなくなったら、Twitterを諦めること。

公式クライアントは(スペース的な意味で)コンテンツよりも多い広告、得られない情報、入力できない日本語1など問題が多すぎて、許容できる範囲を越えている。 というより、利用する益がまるでないのに、辛い思いをして利用する理由がない。

何年か前の話なら、「Twitterだけでつながっている人も多いから、Twitterなくなると困るな」というのがあったのだけど、今やリプのやりとりもほとんどなく、TLはほぼbotと企業ツイートで埋まっていて、なくなっても特に困らないというか、「失う利益がない」状態であったため、そんなに変わらないと感じていた。

ただ、「社会とのつながり」という問題がある。

私は基本的に社会とのインターフェイスを持っていないし、Chienomiはたくさんの人が見ていても、基本的にリアクションはないから双方向性はない。 交流の場がなくなると、社会の中での私が消えてしまうのだ。

だから、可能であれば「移住」にしたかった。

移住問題

SNSの移住問題というのは、偶発的な問題が多くてかなり難しい。

SNSは人が集まって初めて機能するものだが、新規のSNSを開いてもそこに人はいないわけで、ここから「人がいる状態」への道のりは非常に厳しい。 逆に言えば、既に人が集まっているSNSの地位はかなり堅い。

人がいなければそもそもSNSで交流することができず、そこにいる意味もないが、ただ人がいればいいというわけでもない。 機能的な問題、文化的な問題など色々な面があるのだ。 Twitterで関わりのある人が皆Facebookに行ったら、Facebookに移ればいいかというとそんなことはないし、みんなVRChatに行ったらVRChatに移住すればいいかというとそれも違う。

どのように文化が形成されるかというのは、そのSNSが当初掲げたものにもある程度は左右されるが、それよりは結果としてどのような人々が集まったかにもよる。

また、すでにある程度文化が形成されているものに属する人がより多く流れ込んだ場合はそれが塗りつぶされてしまう。特に2ch(5ch)由来の文化による侵略性は非常に強い。

こうした侵略性が強く勢力も強い文化は「そればかりになる」傾向が強く、それ以外の文化が残りにくい。 そのような文化を好む人には選択肢が多いが、そうでない人にとっては「それ以外の文化」が生き残りづらく、選択肢は狭い。

その上で、集まった人々による文化は形成力がよほど強くない限りは2形成される文化や空気感は偶発的なものである。

結局のところ、「何かしらの要因はあれど、結果そうなった」としかなりようがなく、「ここがだめならあそこで」というわけにはいかない。 さらに、アプリの有無が「外でできるか」を分けたりするし、実際に移住するとなると今までのようにはいかず、様々な問題があることを感じられる。

それらが解決されるかも「結局はどうなるか」に左右されるが、「そうして覇権をとったTwitterに代わるもの」がどのようなものになるかは分からないし、それでもTwitterが君臨し続けるかもしれない。 移住は抗うことであり、開拓することであるから、故に難しい。

これまでTwitterを愛してきた人は、FacebookやInstagram、あるいはTiktokに行こうとは思わないだろう。 そうなると、そもそも選択肢はあるのか、という話になってくる。 SNSはソフトウェア的にもサーバーリソース的にも厳しいため、そうそう始められるものでもないからだ。

従来の考えであれば、Twitter, Facebook, Instagram (あるいは、Mixi, Google+…)といったSNSを「みんがやっているから」始めるという人が多かっただろう。 だが、その時は「SNSをする必然性はなかったが、やってみようという気になったから」という話だ。 対して、移住というのは「今までの体験を維持したいがために代替物を探している」という状態で、スタンスが違うし、それが困難さを増している。 「これを期にやめる」という選択をしづらいからだ。

Fediverse

その中で救いとなるのがFediverseである。

Fediverseは複数のSNSが相互接続されたものである。 これは従来のSNSとは大きく考え方の違うもので、WindowsとLinuxの違いのように、「単位の違い」を生じる。

Twitterはサービス(運営)とサーバーは一体のもので、クライアントソフトウェアは一体であると言えるし、ないとも言えた。 だが、こうしたSNSの中では、「誰がどのように運営するSNSか」と「どんなソフトウェアを使ったSNSか」は別の問題である。

もちろん、運営が異なれば文化も異なる。自分がいたところに関係なく、その場所の文化を尊重すべきだ。

Fediverseに接続されたSNSは、Fediverse上のSNSである、と考えることができる。 Fediverse上のSNSを構成するソフトウェアで、日本で最も有名なのはやはりMastodonだろう。 他にもGNU Social, Pleroma, pump.ioなんかがある。

Fediverse上の、というのは、後述するようにソフトウェア性質と接続によるところだが、ソフトウェアとしてFediverseに加わることができなければ、SNSがFediverse上に存在することができない。 具体的なFediverseを構成するSNSのソフトウェアとして有名なのがMastodonということだ。

また、これが「分散型」であることと「オープンソースである」ことが別の話だということも理解する必要がある。

オープンソースであるということは、細かいことを無視するならば、「誰でもSNSの運営者になれる」ということを意味する。 環境を用意すれば、明日にでも自分のSNSを立ち上げて、運営を始めることができるわけだ。

SNSは運営者とユーザーの性格・思想に強い影響を受けるため、異なるサーバーでは全く違う文化や空気が形成される。

Fediverseに加わるためにオープンソースであることは必要条件ではない。

一方分散型であるというのは、「そのサーバーが小さくても成立する」という話になる。 分散型SNSでは「ひとつのサーバー」というローカルな単位を持つと同時に、他のサーバーとのつながりを含めて「SNSサーバー群」という単位でも扱えるため、「ひとつではない」と同時に「ローカルにも縛られない」という性質となる。

Fediverseはこの分散型のSNSソフトウェア群に一定の規格を採用することで達成されている。 分散型であったとしても、そのソフトウェアが繋がれるというだけであれば、SNSの全体規模が当該ソフトウェアの普及度合に左右される。これはかなり成立を妨げ、難しい問題となる。

だが、Fediverseの一員となれば、そのソフトウェアが成功できなかったとしても、成功したソフトウェアを利用するSNSとつながることができ、Fediverse全体の規模としては大きくなる余地がある。

表現方法が難しいが、Mastodonソフトウェアは「Fediverseと互換性があるソフトウェア」だと言えるし、実際にFediverseに接続しているMastodonインスタンスは「Fediverse上のSNS」あるいは「Fediverseの一員」であると言える。 しかし、それは「外部とつながる方法」であるから、別にFediverseありきというわけでもなく、そのインスタンスとしての視点もある。

分散型コミュニケーションというとXMPP(Jabber)を思い出す。 この分散メッセージングサービスは分散であるメリットよりもデメリットのほうがずっと大きく、またオープンであることのデメリットがさらに大きいためにうまく普及しなかった。

Mastodonが話題になったときもそのような問題を生じていたし、うまく広まらなかった。 これはうまくいく公算の低いアプローチであると考えられたが、意外にもそれが良い結果を生んだ。

多くの人が軽率にSNSを始め、多くは維持できず、あるいは人がこなくて消えていくが、中には生き残るものもある。 コンセプトが明確なものはある一定の属性の人が集まる環境になるし、そうでなくても小さな多数の群れは多数派による侵略性に耐性がある。

見つけた居場所

だが、一部の人がもてはやす「Mastodon」という単語は、「Twitterの代わりに」などと簡単に言えるものでもない。 Mastodon自体はソフトウェアに過ぎず、「Mastodonを利用する」は自分でSNSを立てることであり、そのような受動的な姿勢での移民は難しい。

探さねばならない。場合によっては自分が切り開かなければならない。

そうしたことから、私はいくつかのMastodonインスタンスに登録し、参加した。 例えば通称「JP」と呼ばれるmstdn.jpであったり、あるいはVivaldiの公式MastodonインスタンスのVivladi Socialであったりだ。

だが、そのいずれもが私には合わなかった。 私の視点からすると、JPはほとんどがシモネタ、それも笑いではなく欲望の類が溢れていて、非常に粗暴な言動も多い。Vivaldi Socialは一部の日本人が占拠しているような状態になっており、内輪ノリが非常に強い。 この2種類はMastodonでは非常に典型的であり、 また、前者のようなインスタンスに関しては、オタク像の押し付けが気になるケースが多い。つまり、「ここにいるのは全員陰キャだ」みたいなやつだ。

一番最初に登録したのはJPで、それはMastodonが話題になってすぐの頃に登録したが、それ以来「Twitterは終わるかもしれない」の気持ちで、何度かMastodonインスタンスを探索していた。 その「最後」になったのが2022年11月に始まったVivaldi Socialである。

それなりの数を探索したこともあり、多様性の可能性に期待するのは無理があるだろうかと考えもした。

だが、幸運なことに、その日(Twitterが炎上した日)のうちに自分にあった場所を見つけることができた。

私が見つけたのは、Misskey.ioというMisskeyインスタンスだった。 通称は「io」であるが、これは「(Misskeyインスタンスのmisskey.)io」という意味である。

Misskeyもまた、Fediverse上に存在することができるSNSソフトウェアである。 そして、Misskey.ioはそのMisskeyを使ったひとつのサーバーである。

私が気に入ったのは次のようなところだ。

  • シモネタがほとんどない。エロコンテンツもごく稀
  • 攻撃的な人は稀。もし見かけたらミュート&ブロックすれば十分な程度
  • 宣伝や真面目な話はあまり合わない。みんな雑談を楽しんだり、冗談を言って笑い合っている

要は、怒りや悲しみといった、ネガティブな感情を振りまく人がとても少ない。

Twitterだと怒りや憎しみを垂れ流したり、暗いネガティブな発言を繰り返す人が多いが、そうした人が少なく、「明るく楽しく、ノリは軽く」という感じの場所である。 私はTwitterでは「攻撃的な人はブロック、ネガティブだったり主張が強いが過ぎる人はミュート」という振る舞いにしているが、ioではブロックやミュートを使う機会がとてもとても少ない。

私の中でのネガティブ要因(ブロックやミュートなど遠ざける理由になるもの)は「攻撃的」が一番大きいが、これが少ないのはとても大きい。

そして、ノリが合うことか。攻撃的なギャグはもちろん嫌いだし、下半身に脳がついているような人も嫌いだけれども、ioは「私にとって嫌なノリではない」ということだ。

100%合うわけではなく、私はTwitterでは結構な頻度で真面目な話をするのだが、真面目な話自体が合わない。 問題提起とか、主張とか、そういうことをするような空気ではないのだ。

だから、何も考えることなく思うがままに振る舞えばいいとはならないが、すべてをひとつの場所に求める必要はない。 Misskeyの場合公開範囲もあり、フォロワーに向けたメッセージを出すことも可能だ。こうしたものはLTLに載らないので、LTLでは空気を読み、真面目な話はフォロワーに向けて話す、という形にもできる。 フォロワーはきっとより好ましく受け取ってくれている人で、真面目な話にも耳を傾けてくれるかもしれない。

まぁ、これも、みんなにおすすめというわけではなく、単純に私の好きなノリっていうだけの話。 基本的にどこのサーバーに言っても非常に狭い層が固まっているし、その意味でせはioも例外ではない。 本当に、単純に、私に合ってるというだけのことなのだ。 さらにいえば、少ない人数でLTLでずっと喋ってるから、とても古のチャットっぽい感じで、それも好きなのもあるし。

ただ、居心地の良さの一方で、「欠けているもの」を感じもする。 ここのところTwitterで欠けていた「コミュニケーション」によって私は満足しているが、「ソーシャル」な意味ではだいぶ厳しい。

私のTwitterを振り返ると、Twitterは遊びというより、戦略の一部だった。 2014年、全てを捨てた私のチャージ期間を終え、私の戦いが始まったわけだ。 本当に最初の数日間は空回りもしたが、総じて見れば交流を持って人脈を広げ、世界を広げて存在感を示すことにつながった。 最終的には全期間を通じてどこかのコミュニティに深く関わったことはなく、何かにぶら下がることもなかったが、私の次の手につながるものにはなっていたし、そうしてつながっていったことで私の発言が「インデックスされるようになった」のというのも大きく、私の活動でやっていける力を手に入れた。

これは、「広い世界と強い影響力を持っている人との関わりで、私が最低限必須とするネット影響力を手に入れた」という言い方もできる。 決して「人に対して」ではなく、最も大きいのは「Googleに対して」だ。 私の発言、ブログの記事などがすぐにインデックスされるようになり、それによって認知されてアクセス数が増加したことで安定した。

そして、無名だった私であれば路傍の石にもなれない大物との交流も大きかった。 それにぶら下がって影響力を得たというようなことはないが、その交流で得られたものは私の飛躍に不可欠なものであった。

SNSは「ソーシャル」な役割を持ち、故に「どんな相手ともコンタクト可能」という面を持つ。 私はここから非常に大きな利益を得たわけだ。

金銭的な利益はないが、全く無の存在から私の活動を成り立たせるに至るまでこれはなくてはならなかった。 そして、この機能は本当に誰もがやっているTwitterだったからこそ成立したものだ。

実は、私は他にもいくつかのSNSをやっていた。 Facebook, Google+, そしてAmebaのbk2だ。 だが、Facebookは経営者としての振る舞いが求められたし、Google+は交流する相手がおらず、bk2は多少の交流はあったが、あくまで単なる個人との交流に過ぎず、それによって私の活動が影響を受けることはなかった。 私にとっては「Twitterあってこそ」だったのだ。

LTLがあるSNSでは専門的な話をするとかなり場を汚すことになり、向いていない。 そして、レベルが高い人たちとの研鑽のためには、少なくともそれらの人がFediverse上にいる必要がある。 雲の上にいるような人たちにボッコボコにされて這い上がる経験なしには進展はない。 私の発言がそうした人の目に触れ、ツッコミをもらう環境も必要なのだ。

(Twitterで迂闊なことを言うと第一人者や当人からツッコミをいただくことになる。)

現状、ioでは振る舞いの幅が狭く、使い方の余地も狭い。

こうした機能をFediverseが担うことはかなり難しく、ソーシャルな意味ではどうしても弱い。 ここはTwitterから出るのは難しいかもしれない。 Fediverseで接続されているとはいえ、ほとんどの人は連合タイムラインを見ているわけではなく、違うサーバーでは人目に触れづらい。 結局、そうした人の動向に従うほかないだろう。

新しいSNSスタイル

Misskey.ioのオンラインユーザー数はせいぜい数百といったところ。 アクティブユーザー数でもせいぜい数千で、アクティブユーザー数億を謳うTwitterとは次元が違う。

有効・無効の問題はあるが、基本的には

  • LTL (Local TimeLine = そのサーバー内全体のタイムライン)
  • GTL (Global TimeLine = 当該サーバーと接続されているサーバーを含めたタイムライン)

という、フォロー関係よりも広い範囲で見られるようになっている。 フォローすればそれはTwitter同様のHTL(Home TimeLine)となるが、もっと根本的な話として、Twitterでフォロー数が数百や数千という人は珍しい話ではないと思うので、LTLはTwitterのHTLよりも少ないかもしれないという活発さなのだ。

フォローはFediverseを通じて別のサーバー(ソフトウェアまたぎを含む)のユーザーに対しても可能なので、必ずしも「LTL > HTL」の構図が成り立つわけではないが、言うなればLTLは「学校全体」みたいなものになり、HTLは「友達付き合い」みたいになる。

学校の全員と友達であるわけではないが、校風やその学校の文化、生徒の層などで「合う合わない」は当然生じることがイメージできるだろう。 同じように、LTLの快適性は非常に大きな影響を与える。 そもそもそのサーバー内にフォローしたいような人は誰もいない、ということもあるのだから。

このため、Twitterは「とりあえず登録して、自分の肌に合う人を探してフォローする」の流れだったが、Mastdonのようなオープンソースソフトウェアによる小さなインスタンスは、そもそも「自分に合う場所を探す」から始まる。

活動拠点を決めなくてはいけないのだが、結局これは「登録して、LTLを眺めて、合わなければ別に行く」という作業が必要になる。 フォローを整理してHTLを構築し直すのではなく、そもそも別のところへ行くのだ。

活動拠点が決まってしまえば、Fediverse上でフォローする相手を探してHTLを構築する流れになる。

もっとも、LTLを見るのがメインか、HTLを構築してそっちに引っ込むか、というのはサーバーによって結構性格が違う。 ただ、結局LTLを見ていることが多いサーバーのほうが多く、その場合LTLが構築済みのHTLのようなものになる。

まぁ行く先は様々だが、いずれにせよスタート地点はTwitterとは明確な違いがある。 Twitterの場合、「あらゆる人がTwitterをやっています!」というスタンスを前提として、最初に「あなたの興味のあるカテゴリの有名人をフォローしましょう!」と来る。 ここからフォローする人をうまく見つけられるか、あるいはこれを拒否したなら検索してなんとか合いそうな人を探すかになる。

対して、LTLが存在するサーバーではLTLという「そこにいる人たちが見えるもの」が最初から存在している。 「受動的なROMアカウント」で始めることができるのだ。 そして、基本的に「LTLが不快に感じるサーバー」で活動を続けるのは難しい。

しかし、これは良いところもある。 「LTLが不快なら他に行けばいい」のだ。

例えば、すごく主張が強い人がいて、なおかつその人が頻繁に発言すると、その人がそのSNSの主のようになる。 実際仕切るように振る舞うこともあるし、そうでないこともあるが、そのような空気になることはあまり変わらない。 そうするとその人の合う合わないが非常に大きな問題になるのだが、選択肢があまりない状況だと出て行きづらいというのが合ったりした。

しかし、これらの分散SNSでは、「数多あるものから合うのに出会えるまで放浪する」が効く。 Twitterですらオタクが多く、断定的に「Twitterユーザー像=オタク」みたいに言う人も多い状況であるくらいだから、よりマニアックな(考えなければいけないことの多い)要素のあるこれらの分散SNSはオタク集団になりやすくはある。

全体でも偏りがないとは言えないが、一方でステロタイプなオタク像(Vipper的な)を押し付けられることもなく、それぞれのジャンルのオタクの集まりになりやすいため、技術的な文化によほど馴染めないのでない限り、Twitterより「可能性がある」とも言える。

新しい時代のSNSは、いままでのように「みんながXをやっている」ではなく、「それぞれが自分に合った場所をみつける」となり、その上で「垣根を越えてつながれる」だと言えるのではないだろうか。

「自分に合った場所を見つける作業」は、古のチャットサイト全盛の時代に、自分に合うチャットを探していたことを思い起こさせるが、その枠を越えてつながれるというのは新しい。

私はようやく、自分に合う場所を見つけられた。 Twitterでもこんなに楽しかったことないな、というぐらい楽しくSNSができている。 これはとても大きい。

今後どうするのか

少なくとも現時点で、私のMisskeyアカウントはテクニカルなアカウントではない。 雑談のみだ。 Twitterは基本的にテクニカルなアカウントになっているので、明確に違う。

だから、Twitterで私をフォローしていた人が、その延長線上のものを期待してioの私をフォローしても、期待した結果にはならないだろう。 そもそもの話、ioは「肩書を明らかにして、本名で宣伝したり主張したりする」というのはまるで合わない。だから、私の今のTwitterの使い方はなじまないだろう。

Near futureの話をするならば、Chienomiに近い感覚の私の振る舞いは、変わらずTwitterのままである。 他のMastodonアカウントよりも、Twitterのほうが相応しいからだ。

だから、「雑談なんかいらない、技術的な解説や、活動報告が見たいんだ」という人は、今までどおりTwitterの私を追いかければ良い。

ただ、雑談をしたり、世間の話題に反応したりというのはそもそも機会がなくなるため、Twitterではほとんど行わないだろう。 テキストエディタに1度打ってからコピペで投稿という手間もあるので、Twitterでの投稿頻度は大幅に落ちると考えられる。

Chienomiの新着記事チェックが目的なら、これもTwitterで良い。 新着記事宣伝は変わらずTwitterで行う。ioはこうした活動に適さないし、ioに投稿しても検索インデックス的な意味でも、直接のインプレッションという意味でも効果が薄いため、そもそもの意味が薄い。

このため、新着記事情報は変わらずTwitterで行う。 この投稿を行わないとChienomiの記事にリンクが貼られず、検索しても出てこないため、必要としている人がたどり着けなくなる可能性が多いにあるから、行わなくなるわけでもない。

一方、私の発言が楽しみ、私と雑談したい、私の日常的な話が聞きたいという人はioの私をフォローするといい。 別にioに来る必要がない。お好きなFediverseから@reasonset@misskey.ioをフォローすれば良いからだ。

Mastodonに関しては、結構いろんなサーバーにアカウントがあるのだけれど、「ここでこれをやっていこう」みたいな感覚になっているものがないので、多分フォローしても特に何もない。 現時点では、Twitterの私とioの私の2種類だと思って良い。

ちなみに、ioでの発言頻度はTwitterよりずっとずっと多い。

声優・作家としての発言を今後どこでするかは現時点では未定であるが、現時点で当該用途のTwitterアカウントのフォロワーは非常に少ないので、気にしている人はほぼいないだろう。

また、Fediverse向けのシェアボタンを追加した。 選択肢からシェアしたいインスタンスを選択するか、もしくはアドレスを入力してシェアできる。 メジャーだと思われるインスタンスは選択肢に入れたが、もし頻繁にシェアしたいけど選択肢になくて不便、ということがあれば連絡してほしい。 また、この機能は単純に$server/share?text=$contentでシェアできるということを想定しているが、それができないタイプのソフトウェアもあるかもしれない。 その場合は、そのソフトウェアのシェアアドレスを含めて報告してほしい。

もしもTwitter上で技術的な発信をすることすらできない事態になったらどうするか。

ioのアカウントで技術的な話をすることはないだろう。  その場合、Fediverse上で技術的な発信をするためのアカウントが必要となる。

今ならJPになるだろうが、その時になったらある程度移住先も固まっているだろうし、現時点では日和見だ。

Twitterの経緯と解説

Twitterは当初(から)低質なUIであり、ごく一部のユーザーしか使っていなかった。

だからこそTwitterはオープンなAPIを用意した。 それにより様々なクライアント、そしてアプリが生まれ、Twitterの活性化につながり、多くのユーザーの獲得につながった。

このこともあり、Twitterはユーザーが育てたという面があったし、Facebookに対して陰キャ的な志向を示していたのが「オタク」に支持されてもいた。

だが、Twitterはあるときから方針を転換する。 Facebookのような「キラキラ」イメージを強く打ち出し、プロモーションに力を入れた。

そして、UserStreamを廃止した。 UserStreamはTwitterクライアントにとっては極めて重要な機能であり、実質の締め出しでもあった。 代替APIを提供するとしていたが、代替APIの詳細が出されないまま規制だけが強化された。

そして、代替APIに以降したが、このAPIでのアクセスは非常に厳しい制限が課せられた。 サーバー負担を軽減するため、ということであれば理解できなくもないものであったが、実際はTwitterが買収したアプリであるTweetdeckは非常に力技でサーバーに負荷をかけており、納得のできないものであった。

そしてこのタイミングで数多くの開発キーを持つユーザーがBANされた。 これによって多くのアプリが使えなくなった。 これについてのちゃんとした説明は今以てなされていない。私が愛用していたMikutterも、これにより利用不可となった。

そしてTwitterはよりクローズドな方向に進む。 これまで普通にウェブページとしてアクセスできていたものが、ログインしていないと見られないようになったり、メジャーではないウェブブラウザーからの利用でアカウントを凍結したりといったことだ。 私もNetSurfでアクセスしたら凍結されたということもあった。

恣意的な締め出しと、「規約に違反した」と主張しつつ根拠となる規約がない、ということが常態化し、その傾向は年々強まっていった。 で、炎上するちょっと前から、「サードパーティアプリを締め出すのでは」という話があったのだ。 その上で、規約の変更と、開発キーを持つユーザーの凍結というのが同じくらいのタイミングで行われた。

のだが、別にこれは直接関係はない。 違反した規約として、その規約の変更した部分を指されるかもしれないが、もともと根拠となる規約など存在しないまま「規約違反」という言葉を万能のものとしてBANしてきたわけだから、何の意味もない話だ。

変更された規約は、どちらかというとTwitterから脱出できないように、「Twitterの代替物を作ったら違反だぞ!」と言っている内容で、MastodonのURLをシェアできなくした、とかと同じ流れにあるものだ。

Twitterが買収されたときになぜかマスク氏をもちあげる人がいっぱいいたけれど、正直なところ「買収が成立したらTwitterは終わりだな」と思っていたし、実際そういう空気だった。 あれはどっちが正義とかいう話でもなく、「買収されなければとても悪く、買収されればいよいよ終わり」みたいな話だったのだ。

なので、もう5年以上に渡ってTwitterに対する不満と不信感が募っていて、それを改善するどころかより圧力で解決しようとした、というのが話の本質である。