Chienomi

さふぁいあさんにアバター(アイデンティティピクチャ)を描いてもらいました

雑感::mythings

まえがき

この記事の趣旨はアイデンティティピクチャのアンヴェール&ショーアップ及び謝辞だが、話の内容は総じて(テクニカルではなく)ビジネス寄りである。

GitHubなどの活動に関する報告であるためここに書いたとはいえChienomiらしい内容ではない(テクニカルな内容でもないし、geekやhackerのためのノウハウでもない)。 とはいえ、読み物として読みやすく、読み応えがあるように心がけたつもりではあるので、楽しんでいただければ幸いである。

(ちなみに、このため(非技術者向けになる内容のため)に最近細々とChienomiのデザイン等改良していた。)

本記事は記事自体がかなり長く、さらにテーマが節ごと各々に数多いものである。 そのため、以下に本記事中で取り扱うテーマを列挙する。

このリストは全部の項目を網羅しているわけではない。

また、本記事ではコミックイラスト、キャラクターイラストレーション等の漫画、アニメーション等の文化に根ざすピクチャを総称して「萌え絵」と表現している。本用語はいわゆる「身内語」であり、文化圏外において用いられると蔑称としての色合いを持つが、 私自身はこれらのピクチャに対して肯定的な立場を取るものであり、否定的なニュアンスを持たないことをあらかじめお断りしておく。

アイデンティティピクチャというのは、一般に「アイコン」「アバター」などと呼ばれるものである。 変わったところだと「フェイスピクチャ」とか「ログインマーク」とか呼ばれることもある。

SNSやLINEなどのアイコンであれば軽い話だが、これはもうちょっと重い話である。

一般にGitHubやOSSコミュニティにおけるアイコンは実写である。 特に主たる人は著者近影などで写真を撮られる機会も多いから、そういった写真をアイコンにする人が多い。

一方、日本ではOSSスターでも写真を使う人は割と少数である。 だが、多くの人はアイコン・アバターを完全に固定しており、長年変えずにいる。 そのアイコン、アバターが文字通りのアバター(化身)となっているわけだ。

言ってみればその人を代弁する、象徴するものである。 これは本名とハンドルネームの関係に近い。本名というのはその人のアイデンティティを構成するものだが、ハンドルネームは本名というアイデンティティを隠蔽する代わりに自身のアイデンティティを公開するものである。つまり、代用的アイデンティティとなるものであり、本名に代えてそれが何者であるかを明らかにする。

固定化されたピクチャはそのピクチャによって何者であるかを明らかにすることができる。 これは場合によっては名前よりも強く明らかにするものになる。名前とIDが分離されているものであれば自身の名前を名乗ることができるが、IDが唯一の名称である場合も多く、この場合IDが重複してしまうと自身のアイデンティティを使用できない自体に陥る。しかし、任意の画像をアイコンとして使えれば、そのアイコンの絵を見て、違うコミュニティにおける「あ、あの人だ」という認識が効くのだ。

実際、書籍において使用された写真をアイコンに使用する人が多いのと同様に、SNSなどで使用しているアイコンがそのまま著者を示すアイコンとして使われることもある。 彼らがどのような過程を経てそのアイデンティティピクチャを採用するに至ったかということはほとんどの場合は分からない。例えば結城浩さんであれば自身で描かれた絵であることは知っているが、そのように由来が分かる人は稀である。例えば中田伸悦さん、成瀬ゆいさん、武内覚さんなど印象的なアイコンを使われているが、どういった経緯でそのようなアイコンになったのか分からない。だが、そのアイコンを見ればそれが誰であるかは一目瞭然だ。

私はここまで、Twitterに関しては実写で、他はそれぞれ違っている。 GitHubはここ2年くらい、さふぁいあさんのぱすてるどーるメーカーを用いたアイコンを使っている(一時期ネタとしてぴこぴこぐらむさんのデフォルメイラストを使っていた)。 GitLabではクロイさんのフリーアイコン。LINEとDiscordはその時々で違うフリーアイコン。会社では全社のものは写真で、部内のものはGitHub同様ぱすてるどーるメーカーによるもの。SNSは全体に写真が多く、コミュニティではそもそもアバターを設定していない。 Twitterアイコンはここまで6年間で6種類ほど使っている。あまり頻繁には変えていないが、それでもあまり固定されていないほうだ。

これらを統一し、私を代理するピクチャを今回さふぁいあさんに制作依頼したわけである。

アンヴェール

小難しい話よりも先にみたいという方も多いだろう。

というわけで、これが新しい私のアイデンティティピクチャであり、さふぁいあさんの珠玉の作品である。

Avatar of Harukamy (Masaki Haruka) by さふぁいあ © 2020 さふぁいあ

前提の話

私は音楽家であるし、長く音楽家として食べているから、アートスキルで食べる、ということに関してはそれなりの知識がある。

また、イラストレーションで稼いでいたこともあるし、イラストレーションを会社の代表として発注したこともある。

これらを背景とした話だ。

そもそもの話

なぜアイデンティティピクチャなのか。 このあたりはちょっと深い思惑がある。

一般的に写真が使われる、という話をしたが、ここには2つの意味がある。

ひとつは、日本では写真を晒すことは好まれない。 これは特異だとかおかしいという話ではなく、特徴的程度の話だ。

もうひとつは、日本以外では日本ほどイラストレーション(萌え絵)をアイコンにするということは一般的でない。そもそも何らかのキャラクターをアイコンにすること自体がごく限られたものを除けば一般的でない(中国や韓国、台湾の事情は日本に近くなってきている)。

では日本では十分なポピュラリティがあるか、というと、実はそんなことはない。 確かにオタク趣味は以前のように秘匿すべきものではなくなり、社会的地位を確立したといっても過言ではない。私が子供の頃でも漫画を読むことすら恥を忍ぶような風潮であったから、隔世の感はあるが、それは「一般に広く」という意味ではなく、「元よりそういうものを好む人が増えた」ということである。

フェミニストの名を騙りオタク趣味を目の敵にして撲滅しようとする人々の姿は良い例ではないか、と言えばさすがにそれは偏った話になるが、多くの人が「嫌悪はしないが忌避する」程度の位置にあることはあまり変わっていない。 簡単に言えば、「なんとなく恥ずかしいもの」なのだ。「女性下着の広告が、女性にとってはどうというものには感じないが、男性にとってはなんとなく目をそらしたくなる話」と言えばわかるだろうか。

忌避に至るのは男性が多く、女性の場合実際にイラストを見せれば「あらかわいい」となることが多いのだが、それでもなお疎い、という状態もある。

このような状況を作っているのはオタク文化である、と私は考えている。

そもそも、私は特にオタクではない人からはオタクであると見られる一方、オタクからは「仲間ではない」とみなされる位置にいる。総じて文章が好きで、小説やライトノベルは好んで読むし、漫画もある程度は読む(少なくとも漫画喫茶を数ヶ月に一回程度は楽しめるレベルで)。そして何よりエロゲーを嗜むし、アニメソングやゲームミュージックもとても好む。 大体、私はエロゲーの曲を書きたいがために音楽家になった人だ。

だが、私はアニメーションはあまり好きではないし、作品の好みは結構ハッキリしていて、広く好むわけではない。グッズをコレクションしたりディスプレイする趣味もないし、不要に買うということもしない。コスプレも好きではない。そして何より大きいのは、オタクのノリや同調圧力がすごく苦手で、ただただ純粋にコンテンツを完成されたものとして楽しみたい、という私の立ち位置はオタクたちからは基本的に拒まれるものである。

要は何かと同様であることを求めるし、同属であるという認定のもと楽しみをシェアするという考え方であるため、考え方の異なる、異文化の人に対してコンテンツを「魅力的なものである」とアピールするということをしない。 だから、オタク同士の狭い文化内でコンテンツは流通し、コンテンツそのものが外からみれば「怖い人たちが群がっているもの」に映る。これは必定の話だ。

だから私は別のサイトではエロゲーの話を、エロゲーを好む人のレビューでは絶対出てこないような観点で、作品がどのように魅力的で、いかに生まれ、どう演出されているかと語っていたりする。 アダルトコンテンツである以上、忍ばれる部分はないではないが、このあたりは私は恥じるつもりは全く無い。恥じる必要がない程度には、ちゃんとその作品が作品として魅力的であることを言葉にできるようにしているつもりだ。

もっとも根本的な話として、良いものは良いのであり、感性の違いはあれど、良いと感じる感性は何に属するかということを越えて共有可能なものである。 文化的な感性の違いはよほどの寛容さがない限り越えがたい面はあるのだが、「萌え絵」というカテゴリであればかなり広汎に受け入れられる余地がある。それは、それが「気恥ずかしい」と感じるようなオジサンにも、「全然知らないけど見ればかわいい」と思うようなオバサンにもだ。

そしてもちろんそれは、OSSコミュニティなどにおける、国外の人にとっても、である。

萌え絵のアイコンそのものはありふれたものに感じるかもしれないが、OSSコミュニティやオープンソースデベロッパで主要な位置にいる人、有名な活動をしている人で萌え絵アイコンを使っている人、というのは極度に限られる。 だから、萌え絵を使えば目立ちやすい、という面もある。 だが、裏を返せばそれで世界に発信できている人もいないということだ。

もちろん、日本人で萌え絵アイコンを使用しているユーザーは相当数いるし、それは海外でもいる。 しかし、大概にしてそのような人はあくまでオタクである。つまり、そのアイコンが好まれる文化圏においてのみその価値共有するため、あくまで「オタクたちが同好の士であることを表すためのアイコン」でしかなくなっている。 実際のところ、例え本人にオタク的な趣味があったとしても、そうした世界に発信する立場の人は自らをオタク的コンテンツで表さない。

萌え絵コンテンツはオタク文化の内輪でしか価値をもたないのだろうか? 私はそうは思わない。

私としては、オタク文化にまるで関わりのない人にもそれが魅力的で目を引くものなのだと伝えていきたいし、それをグローバルなものにしていきたい。 もちろん、閉じた世界で内々に楽しむコンテンツというのもだからこその楽しさというのはあるが、排他的に閉じているがために誤解され忌避されるのは好ましいことだとは私は思わない。

だからちゃんと、私は外の世界にその魅力を伝えていきたいと思うし、その架け橋になりたいと思う。 私の所属する会社は、こうした文化に触れている人は非常に少ないが、まずそこから、「あの人はオタク」では終わらせないものにしていきたいと思っている。 もちろん、GitHubの活動もなおさらだ。

さふぁいあさんについてと、依頼までの経緯

2018-2019年のこと

実は今回の件は、単純に誰にお願いしました、では伝わらない話もある。

まず簡潔に言えば、さふぁいあさんという方は、とても若い方である。 忌憚なく言えば、その技巧には拙い面もあり、またその作風は熟練ではない。

今のイラストレーションの世界で言えば、「年数」というのは必ずしも支配的な要素ではない面もある。 テクニックや情報の発達により絵そのものが急速に進化しているし、昔いかに巨匠だったとしてもそこで立ち止まっては現代における最高のイラストレーションを実現できない。 特にデジタルイラストレーションについては、経験年数よりもセンスのほうが重要であり、描き始めて数年でもトップクラスの活躍を見せる人も少なくない。

だが、同じ人を見続ければ普通は年々より上達し、魅力的になっていく。そしてやはり長年技巧を追い求めるイラストレーターは、微に入り細を穿ち、本当に完成されたものを描く。 だから、従来より「若さ」の表現である「勢いはあるが、こなれておらず荒削りである」という未熟な筆致は、デジタルイラストレーションにおいてなお残るのである。

だが、それは魅力の多寡を直ちに意味するわけではない。確かに、「より技巧的に優れた人を」と言われれば難しい面もあるとしても、普通求めているのは「最も技巧に長けた人のイラストレーション」ではなく、「ここにおいて最も魅力的なイラストレーション」である。

私がさふぁいあさんを知ったのは2018年であるように思う。RTで知ったはずだが、そもそも当時イラストレーションを依頼する人の候補リストの中にあった。(ちなみに、そこに至るまでの端緒となったアカウントが誰かは覚えている) そして、前にいた会社の中でキャラクターを作るにあたり、候補資料(2018年末頃のものだ)にさふぁいあさんが含まれている。よってプレゼンテーションの中では登場しているはずだか、最終的に私が推挙した中には含まれていなかった。

そうなったのは明確な理由があり、キャラクターイメージとして「繊細で緻密なテイスト」が求められたからだ。 さふぁいあさんのイラストは、非常に特徴的で一見して識別できるものだが、その一部となる点としてビビッドな色彩と、明瞭なコントラストというのがある。これが合わなかった。イラストを知っている人に対して明瞭に伝えるのであれば、要求されたイメージが、「夜空に無数に散りばめられた星々のような筆致を持つイラストレーション」が求められたのであり、言ってしまえばスパッタリングやスプレーを好むような人の作品、具体的には森倉円さん, ももこさんのような作風が求められたのである。 そして、その当時会社としては勝負どころのプロダクトであったが、会社の看板となるようなイラストレーションとしては、作風が合わず、技巧面でもまた不十分という判断であった。

当時の私がどう思っていたかといえば、「非常に魅力的な画風であり、特徴的でもあるから私は好きだし、将来性もとてもあると思うが、今は未熟さも目立つ」であった。

この経緯があり、私はさふぁいあさんのフォローアカウントを変更している(@reasonset側でフォロー対象を明確に限定するということにしたという理由もある。今回、明確なリレーションを示せることとなり、再度フォローしてもいる)。

多分2019年に入ってからの話になると思うが(@reasonsetでリプライを飛ばしたことはないので)、何度かTwitter上でリプライを飛ばすこともあり、(向こうはフォロワーも多いので)面識というほどではないかもしれないが、少なくとも私としては個人として識別するようになっている。 基本的に私はアートワーカーのパーソナリティに関心を持たない。それがどのような人であっても、性別や年齢がなんであっても、作品の価値を左右するものではないと考えるからだ。だが、知る機会があれば当然知るところとなる。若い方だと知ったのはそういう経緯になる。

作品に対して、若いからどう、というのはないのだが、仕事としてはある。「仕事としてどれだけの歴やって、それを生業としてきたか」という点は、どうしても職務遂行という点で考えざるを得ない。やはりプロ歴が長くプロとして板についている人にはコストがかかっても頼みやすい。特に、継続的に依頼することになるようなプロジェクトにおいてはその点は非常に重視せざるをえない。

だが、もうひとつ私は別の見方もしていた。 「若い」という点を加味すれば、未熟で不安定な筆致は非常に魅力的なポイントだ。なぜならば、試行錯誤を重ね、やがて大きく花開くことが期待できるからだ。安定し、商品化した状態だと、どんなにチャレンジを交えたとしても根本的に変えていくことは難しい。音楽家だって、売れているときに全く違う作風をあれやこれやとは試せない。まして、老いて「あの人に頼めば安心だ」みたいになると、「期待に応える作品を作る」ためにどうしたって望まれているものを作るのだから(そして望まれている作品は、過去の実績によって裏付けされているものなのだから)。実際のところ、ベテラン音楽家は従来の実績に基づく音楽を求められながら、新しいものを取り入れて取り残されず最新形に昇華させていくという難しい仕事に苦しみもする。 (まぁ、それがまるで苦もないような真の天才もいるが……)

若さと進歩と迷いと

果たして、さふぁいあさんは日々目覚ましい進歩を遂げていった。一作ごとに魅力を増していく。変化したところもあればそれがまた後の作品で戻ることもある。 アーティストとしての試行錯誤だ。そしてそれは、大成するためには不可欠なものだ。

その人のセンスにある本質的な魅力、というのを後天的に身につけるのはなかなか難しい。もちろん、飛び抜けた技巧を身につけることで特別な魅力とすることだってできるが、基本的には「技巧はあるが魅力に乏しい人が魅力的に見せる術を身につける」よりも「魅力はあるが稚拙な人が技巧を身につける」ほうが爆発的だ。1

荒削りだが非常に魅力的な画風が、日々進化していく。「目立つ」という要素にどんどんネガティブな面がなくなっていく。 こんなに変わっていくと、どうしたって追わずにはいられない。見るたびに驚きがあり、「すごく変わった」と感じるけれども、次にはまた驚ける。次が見たくて仕方がない。

ある日のイラストが、ちょっとひっかかるものだった。 すごく進化したとは思った。美しいイラストだとも思った。そして、私好みの淡い、儚げなイラストでもあった。 だが、いささか納得し難かった。そのイラストは、「普通」に近いのだ。より一般受けする方向、より多くの人が描く方向。表現の幅をもたせたかったのか、それとも目指しているものは皆と同じ方向性だったのか。 「よくなった」と言って差し支えないとは思えたが、魅力は減じたように見えた。らしくないと思った。 どう捉えるべきか迷って、私はリプライをつけることを避けた。

その兆候はそれ以前からあった。なんとなく、作風が安定しない。試行錯誤はわかるし、着実に上手くなっているにも関わらず、迷いが見て取れる。 もちろん、私としては静観するよりない。それがどこに結実するかなど、わかろうはずもないのだから。

そしてそれはやがて問いかけになった。 「好きなもの」と「好まれるもの」が離れているということに対しての。

意味を為すかどうかはわからなかったが、私はできるだけ誠実に、正直に答えた。 私は淡い色彩の儚い絵が好きだ。でも、さふぁいあさんの魅力はそこじゃない、らしくない、と。

アイデンティティピクチャの依頼と驚き

その後、アイデンティティピクチャを作る、という案が浮上した。 それまで、もともとMimirのサイトでイラストを依頼するという計画はあり、これはどなたにお願いするかということも決まっている。2 私が書いたイラストを使っている部分を置き換えるという案もあるのだが、こちらは膨大な予算が必要になる(上にそれ自体に全く収益性がない)ので塩漬けされている。要は、それ以外で絵を描いてもらおうという動機がなかったのだが、私の作品の注目度が上がってきたこと、そして会社に入ることになり、その中でアバターがほしかったことから急遽出てきたものだった。

最も有力なのはさふぁいあさんであった。 主たる理由はふたつある。 ひとつは、さふぁいあさんの絵は基本的に「ハッキリした」画風であるから、アイコンのような少ないピクセル数で表現したときに識別しやすく、目立つし美しい。もうひとつは、ずっとGitHubでアイコンを使用しており、半ば定着しつつあることだ。 第二にはMimirのほうでお願いするつもりでいる方が候補であり、そのほかにもうひとかた考えていた。

だいたい、そのままお願いしても構わないという流れだったのだが、そうなるといくつか思うところがあった。 ひとつはネガティブなもので、不安定な画風は私の意図するところにならないかもしれない、ということだ。それ以外には、非オタク言語でちゃんとした依頼を出すことで、その経験が将来的にイラストレーターとしてやっていくのであればより確かな活計を得る手助けにならないだろうか、ということ、私の手でさふぁいあさんの魅力を世界に伝えることができないだろうか、ということ(いや、これはイラストレーターとしてもフォロワーが多いほうであるから、余計な話である可能性が高いが)、そして「さふぁいあさんに、できるだけ全力で打ち込めるような内容で依頼すれば、今の渾身の作が見られるのではないか」ということ。

結局、「思い入れを含めれば即決で構わない」という状況であったが、私としては純粋に、(思い入れや個人的感情は差し置いて)これを仕事として出そうということに決めた。思い入れを排した結果、やはりアイコンとして最も魅力的な絵を描くのはさふぁいあさんであろう、という結論にはなるのだが、いまひとつ決め手を書いた。週の頭に考えはじめて、いやもう少し様子を見て検討しようかとなったのは週末の頃であった。

誰かしらに依頼すること自体は決めていたから、私はその要件を書き出した。 一般にオタク文化内でやりとりする場合、このあたりはきっちりしない傾向がある。ちゃんと契約書を結ばない、ライセンスを出さないというのは言うに及ばず、そもそも明示的な境界もないまま作品を描いてもらうという形態が多く、これはビジネス的には絶対に許されないリスクである(この状態では著作権者が「もう使わせない」と言えば使えなくなってしまう)。 一般に我々はライセンスを作るのは得意だ。プログラムを作る上で「どのように解釈したとしても、必要な点が担保される」というのは腕の見せどころであるし、日々それをゲームのように楽しんでいるわけだから、最小にして必要なところは全て抑えた要件を書き出すのはお手の物である。 だが、まぁ契約書とかに不慣れな人が見たら逃げ出しそうな内容になってしまった。割と真剣に「これ、嫌がられないかなぁ……」と思ったくらいだ。

夜中までかけて書いて(というよりも、友人の落ち込みLINEを励ましていたら夜中になった結果、それを並行していたらちょうど終わったのだが)、翌日からじっくり検討しよう、ということにして私の中では一段落であった。

その翌日のことである。さふぁいあさんは一枚のイラストを投稿した。 プリンセスコネクト!Re:Diveという作品のファンアートであるが、ひと目にして魅了された。素晴らしかった。 もちろん、ファンアートであるから元作品があり、色彩に関しては元作品に準拠するところとなり固定される面はある。それが淡い色彩であるから、その魅力的な画風が活かしにくいところだ。 だが、実際に仕上がったイラストは、どこからどうみても一見にしてわかるさふぁいあさんの作品であり、同時に今までとは明らかに違う。その魅力を活かしながら、明らかに一段新たな境地に至った一枚。その線も今までとは違う、迷いがふっきれたようなものであった。

このイラストを見て、私はさふぁいあさんに依頼を出すことに決めた。 即時その旨お伝えした上、昨夜書いた要件に、さふぁいあさんに向けた内容を書き足した。 要件は見直したが、特に変更すべき点はないように見えた。

データや権利面の要件を除外すれば、主要な点は

  • 人間
  • 正面向き不可
  • 自信のある笑顔
  • デフォルメ絵不可

の4点である。 他の点が細かいのに対し、内容に対する注文は最小限とした。

だってそうだろう? 私はイラストレーターとしてはセンスも技巧も拙い。大成しなかった人間だ。 今や年に一度筆を執るかどうかというレベルだ。そんな者があれやこれやと希望を述べるよりも、素晴らしく魅力的な絵を生み出すさふぁいあさんに委ねたほうが良いに決まっている。

もうひとオシ、さふぁいあさん

最近上げた夢見りあむのイラストがなかなか印象的なものになっていた。

個人的にはさふぁいあさんのイラストをここ数年眺めていて、「順当に上手くなっている」という印象を抱いていたのだが、こうして同一キャラクターを並べてみると単純にそういう話ではないと感じられる。

古いイラストに関しては、イラストレーションの構成そのものが「描くこと」に重きが置かれていたことがわかる。 つまり、「何を」描くかが主で、「いかに」描くかという点は易化されている。 結果として、何を描いたとしても「さふぁいあさんの絵だ」と認識できる個性の一方、絵によって何を表現するのかという点に弱く、表現幅が狭いという問題を抱えていたことを思い起こさせる。

それがもう少し進むと画力の向上もさることながら、絵にキャラクターの「表現」が生まれている。 シチュエーションや感情が、なんとなくではあるがイラストレーションによって表現されるようになっている。 それは、髪型や体型などの識別点以外においてもキャラクターが表現されている、ということである。

ただ、この時点ではまだ「アイコン表現のイラストレーション」である。 それでも巧拙の問題は存在するのだが、「このキャラクターを自分なりに描く」という点にとどまり、しかしイラストレーションの可能性はそれに留まるものではない。 それを通じて「何をどう」表現したいか、というエモーションがイラストレーションの中から溢れ出ていない、というのは意外と色々な問題がある。 もちろん、ただキャラクターを描くだけだが画力は非常に高いので魅力的な絵にすることができる人だっているのだけれど。

そして、そこまでの流れでいけばさふぁいあさんの向いている方向というのはそういう方向、つまり「イラストレーションによって何を表現するかということはキャラクターを描くことに留まり、画力が向上することによってキャラクターを魅力的に見せる」方向性に見えるわけだが、最新の作品を見るとそうではなかったことが明らかになる。

画力が格段に向上したこと、キャラクターのアイコンをしっかりイラストレーションの中に盛り込めていることが目につくが、それだけではない。 ひと目みて、「キャラクターをいかにみせるか」に主眼をおいていることがわかる。 キャラクターというのは単独で成立しているものなので(まして有名作品のファンアートであればなおさらに)、イラストレーションにするからにはそれによって何を表現するかというのはとても重要なことだ。キャラクターをかわいく見せたいのか、かっこよく見せたいのか。かわいく見せたいとして、そのキャラクターにとってのかわいいとは何か、そしてそのキャラクターにおいてはどのように見せればかわいいと思えるのか。着想から問われるし、それを実現するためには画力も必要になる。

過去の作品と最新の作品を比べて最も違う点は何かといえば、エモーショナルであることではないか。 イラストレーションから湧き上がるような情緒、動き出しそうな躍動、そういったものを感じられるようになり、「活き活きとした」絵になった。

画力の話だけで言えば以前2作の間でも大きく変わってはいるが、あくまでそのキャラクターを描いた絵であるという点においてはあまり違いがない。 だが、最新作ではキャラクターのキャラクターらしさが存分に描かれた上で、イラストレーション作品としての表現がしっかりなされている。 それは、イラストレーションによって何を表現するかという観点も変わったし、故にイラストレーションを構成する要素も変わっている。

私が思っていた以上に、さふぁいあさんは急激にその腕を上げていたようだ。 テイストも変わっていないと思っていたのだが、バランスや線の引き方など、洗練方向ではあれどかなり変化していることが感じられる。

今のところTwitterで見る限りではキャラクターイラストに限られるようだが、将来的にはもっと広くアートワークを手がけるようになったりもするのだろうか。キャラクター表現方向に懐を広げているのならそれもありそうな気がする。 そうなってくると、ひょっとしたらライトノベルやゲームでも見かける日がくるかもしれない。

いずれにせよ、このまま歩み続ければより大きな成果と名声を上げてゆくことは間違いないだろう。 今のうちから注目しておいたほうがいい。

イラストレーターとしてのありよう

本節は本作品、及びさふぁいあさんとはあまり関係ない一般的な話である。

マネタイズと金額

依頼にあたり、まずは見積もりをお願いしたのだが、この時点で相見積もりを出すという心づもりは全くなく、単純に一定額以下で即時依頼、それを越える場合予算が確保できるようにしてからの依頼、というつもりであった(限度はあるが)。 結果的には即時依頼のボーダー内であったからそのまま依頼となった。

具体的な額は伏せるが、SKIMAというサービスを利用しての依頼となった。 そして、そこでリコメンドされて知ったのだが、かなり安くで受けられている方が多いようだ。 これはページを見れば明示されていることなので書くが、さふぁいあさんはそうした中では高めに設定している。3

アートワーカーに限らず専門職・技術職として見た場合、基準になるのが「時給4000円」である。 「プロの仕事なら時給4000円もらいなさい」ということだ。内容に不釣り合いに高額になるなら、プロとして仕事できるだけの生産性が足りていない。つまり、速くならねばプロの仕事として成り立たない。一方、不釣り合いに低額になるならば、それはプロとして断るべき仕事だ、という話だ。

実際に考えると今の経済で時給4000円で成り立つようにしようとすると結構な強気で、わりと難しい。4 だが、わかりやすいところでいえば日当2万円で週5で40万円といったところであるから、丸1日作業であれば2万円は払うべきだと考えられる5。それを下回るのは、その人の才能や将来性を摘むことになりかねないからだ。 そうした観点でみれば妥当〜安めのラインの価格であったと思う。

安い価格で出す人の中には、短時間の作業であることを前提とした片手間である、という場合もある。 趣味人としては「趣味を続けられる手当がほしい」というのは自然な考え方であるし、実際このサイトの運営コストが重くのしかかっている(なんとしても広告をつけないのは私のポリシーだ)私としても普通に考えるところであるから、これ自体を悪く言うつもりは全くないのだが、今回の件に関していえば、「落書き程度にちょちょいと描いたもの」がほしいわけではないのである。(もちろん、それで十分すぎる要件は多分に存在する)

手法と戦略

そのケースを除くとアートワーカーとしての活計の成り立たせ方としてはいくつか手法がある。

まずひとつは職人技芸だ。技芸を磨いて単価を上げ、高額な案件を受注することで稼ぐ。 画家などは一般的なこの方向で考えられるし、イラストレーターでも有名な方だとこの傾向は普通にある。 基本的には「ビッグになる」夢の類で、破れるリスクも少なくない。

多売手法は近年有力になったものだ。音楽家だと「ライブをやって物販で稼ぐ」なんていうスタイルがあったりするのだが、これに近い。「数販売できる形態としてひとつの生産を多くの人に買ってもらう」というスタイル。ファンが増えれば安定感が出やすい。 グッズにするのが一般的だが、近年はデジタルコンテンツの販売もある。どちらもより容易になって、その発信もしやすくなったから、アマチュアとプロの垣根をとっぱらったものでもある。同人活動が税務上大目に見られなくなった理由でもある。個人的に生産するものでも現在は大量に売ることが成立するので、結構な収益を上げることが可能だ。

そして廉価売手法だ。単価を下げることで広く一般に買ってもらおうということ。 イラストレーションの場合は「オタク層のオタク活動として抵抗のない金額」にすることが肝になる。 だから先の安価なイラストレーションに関しても、生活面を考えてプロとして仕事にしている金額設定なのかもしれない。 だが、この手法はいささか浮き沈みが発生しやすくなる。

特殊なものだと、配信の投げ銭に頼るとかいう方法もあったりするが、うーん、それは「イラストレーターとして」なのかどうかはやや疑問が残る。女性イラストレーターの方で、あまりイラストは描かないが投げ銭でそれなりの収益を得ている人に心当たりがあるが。

まあ、生計を立てる主たる戦略はこの辺に限られる。 ここは音楽家も同じで、ここらへんの戦略性が甘いと音楽家としては運だよりになるので活動を続けられなくなりやすい。 つまり、「活動していればなんとかなる」わけではないし、「魅力的なら自ずと稼げるようになる」わけでもない。アーティストであろうと経営戦略を持たなければ生き残れないのだ。

アートワーカーでここらへんをシビアに考えるのは難しいように思う。まぁ、あくまで私が極端に苦手だっただけかもしれないが、得意分野がビシネス戦略であるアーティストというのはあまり聞かない。 ここらへんうまく伝えられるようにできないかなぁ、と考えることもある。 私が起業したときに途方もなくぶつかった壁だからね。

オタク文化と事業的ニーズ

それと、非オタク向けで仕事を依頼しようとすると、他にもいくつかの壁がある。 現状オタク向けコンテンツで消費されることがほとんどであることもあり、このあたりはイラストレーターにおいて見落とされがちであるように感じている。

まず、アートワークがFANBOXなどクローズドな場所ばかりで出している人はほとんどの場合推挙できない。 どのような作品を作り、どのような実績があるのか、というのは仕事として検討する上で大前提の情報であるので、これが伏せられてしまうとプレゼン資料に書くこともできない。

女性キャラしか描いていない人が多いのだが、「女性キャラだけでいい」というのはオタク向けコンテンツですらある程度限定される話であるため、男性、静物、動物もサンプルでほしい。この点は依頼可能な人が猛烈に限られるところになる。 (Mimirのコンテンツのほうも男性キャラが必要であるため、相当に限られている状況だ)

仕事を受け付けているのかどうかが明確でない人は候補に入れられない。 会社のプロセスとして、基本的にイラストを発注するという話になる時点である程度候補の人は出しておいて、プレゼンして、会議であーだこーだやって(これはしない場合もある)、稟議を通してから打診となるので、そもそものところでダメな可能性がある人は打診まで行けない。個人事業であれば自由度が高いので出せる可能性はあるが。 これは、「ツイートで募集中って言った」とかではダメで、「プロフィールなど表に受け付けしていることを明示した上で、受け付けしている窓口も設置・明示して」という意味である。稟議で「このツイートで言ってます」なんて言えないから。

また、基本的に見積もりありきで、見積もりを出してから検討して予算を確定するという流れではあるのだが、そもそも見積もりを出す時点でおおまかな予算枠はとってからやるのが普通なので、「費用感が全くわからない」という状態だと見積もりすら出しにくかったりする。典型的ケースの一例だけでもいいから費用感は掲載しておいてほしい。

契約や返答にルーズな人は、まぁまず無理である。重大なリスクがあるとみなされる。 「信用して取引可能な相手かどうか」という話だ。 ここらへんはアーティストには酷な話ではあるのだけど、やっぱり社会人としてしっかりしている人が好まれる。

キャラクターを継続的に利用していく予定がある場合、「将来的に仕事をどうするつもりか」ということが示されていないと頼めない。大抵この場合は専業プロとしてある程度続けている人に頼まざるをえないのだが、プロとしてやっていく意思が明示されていると検討可能であったりすることもある。

エロ絵を描く人には出せないことがある。 一般に非オタク層向けでキャラクターを立てる場合、その肖像・意匠は譲渡するが著作権全体は譲渡しない、という形態になることが多い。この関係で、誰が描いたかというのは出したほうが良いという判断が一般的だ。 だが、基本的に二次元界隈はエロに対するセンシティブさが低いのでどのカテゴリでもエロも非エロも両方やるよ(絵でも文章でも演技でも)という人の割合が高いのだけど、非オタク向けとなるとエロコンテンツは絶対タブーになることが多い。よって、作者名で検索されたときにエロコンテンツに当たってしまうというのはブランドイメージに対するリスクであると考えられ、選を外れることが結構ある。公共作品だと特にある。

相手に了解があることを前提とせずに符丁を使うのは絶対にNGだ。これは、その瞬間に「絶対ナシ」になるレベルでダメだ。 それを仕事として請け負って報酬をもらう以上は絶対にやってはいけないことだ。 (それがあくまで、それが通じる相手だけを相手にするという前提があるならばそれでも構わないが、だとしてもそういう前提のないプラットフォームでそのような振る舞いをするのは非常に下品だ。) 自分がどのような仕事をし、どのような価値を提供し、何に対して対価を要求するのかというのは、誰にとっても明瞭でなくてはならない。

最も難しい話としては「キャラクターイラスト」というのもある。

古く、漫画、アニメ、ゲームなどのような画風によるイラストレーションを「コミックイラスト」と表現したのだが、最近は「キャラクターイラスト」という言い方をすることが多い。 これは、そもそもこのようなイラストレーションに対する評価軸の変化によるところが大きく、特にソシャゲの流行以降はイラストレーションよりもキャラクターデザインが占める割合が大きくなった。

この結果として、かつては「キャラクターしか描けない」というのは半可者として蔑まれるのが一般的だったのに対し、現在はプロであっても基本的にキャラクターしか描けないという人は珍しくなくなっている。 ここで言う「キャラクターしか描けない」というのは「背景が描けない」という意味ではない。イラストレーションのテーマ性がキャラクターを描くことに限られるということであり、イラストレーションというアートワークを生み出すのではなく、キャラクター表現の手段としてのイラストレーションであるということである。

これは、目的の話であり、成果物は非常に類似する可能性がある。例えば、キャラクターが中心に置かれているからキャラクターイラストであるという単純な話ではない。むしろ、イラストレーションよりも写真で考えたほうがわかりやすいだろう。人物や物体を描写することを主としたものはグラビア写真であるが(いや、この語も明瞭な定義付けがないのだが)、ある特定の人物が写された写真がすなわちグラビア写真というわけではない。グラビア写真は目的として、その人物あるいは物体を魅力的に描写することがあり、一方そうでないのならば人物はあくまでも写真作品の中で描かれる物語の登場人物である。 キャラクターイラストとはイラストレーションにおけるグラビアだ、と考えることができるだろう。この観点で言えば、(写実的なものはキャラクターとそもそも呼ばないためにキャラクターイラストと呼ばれることはないが)美人画などの人物画・肖像画の類もキャラクターイラストと同じ構成であると見ることができる。

いずれにせよ、履歴的変遷によって「キャラクターだけを描く」ことが許容されるようになり、またゲームのようなオタクコンテンツに限定されたものではなく、ポスターなどでも「キャラクターだけを描く」ことが一般に用いられるようになっているために、オタク界隈だけで生きていくのでないとしても、キャラクターだけしか描かなくてもさして困らない。

困らないのだが、やはり一枚の絵で物語を語るイラストレーションというのは魅力的なものだし、単価が高い仕事も取れるし、できる人が少ない分評価も高いし、ラノベの挿絵の仕事だってキャラクターイラストだけでは厳しいし、もっと皆挑戦しても良いのではないか、と思う。 これは男性キャラクターを描かない、ということのほうが大きいので特に重要だと声を張り上げるようなものでもないのだけど、ラノベやりたいと言いながらキャラクターイラストしか描かない方も結構見かけたりするので、その観点自体見えてない方も多かったりするのではないかな、と思ったりはする。

著作権と著作人格権の話

引き続き、本節は本作品、及びさふぁいあさんとはあまり関係ない一般的な話である。

クリエイターに著作権に疎い人が多いのだが、クリエイターを相手にする企業の扱いも結構ひどかったりする。

まず、 著作権を与えない(譲渡及び許諾しない)というのは、著作物を利用する権利を与えないということを意味する。 つまり、一切の著作権を与えないのであれば、著作物は利用不可能な完全に占有されたものとなる。

この場合において収益化が可能なのは例えば

  • 自身の作品を展示し、入場料などを徴収する
  • 自身の作品、あるいはその複製物を物品として販売する

といった方法があるが、オタク的な作品においてはあまりない話である。

まず、SNSアイコンとして使用する場合は少なくとも

  • 展示権
  • 公衆送信権
  • 複製権

を必要とする。 これは、

  • 展示権 - 作品を提示し、見せるため
  • 公衆送信権 - SNSアイコンとして表示するとき、それが表示される者に伝送するため
  • 複製権 - SNSアイコンを使用するSNSプロバイダに対してアイコンデータを送信するため

である。

また台本であれば口述権がなければならないし、動画素材であれば上映権がなければならない。 そして大概のデジタルデータはデジタルデータとして利用される限り複製権と公衆送信権は必須である。

これらの著作財産権は譲渡及び許諾が可能である。

許諾は著作者との契約により著作物をどのように使用するかの権利を与えるものである。 この許諾は契約であり、許諾を著作権者が一方的に破棄することはできない。また、著作権者の許諾がない限り、この許諾された権利を譲渡することはできない。

著作権の譲渡とは現著作権者が著作財産権を移転することを指す。 言い換えれば、著作財産権を保持する者が著作権者であり、著作財産権を譲渡したり、その利用を許諾することができる者である。 著作権を譲渡するというのは、著作物をどのように扱っても、またどのように扱うかを決めても良いですよ、その権利は手放します という意味になる。

そして、著作権には著作財産権ともうひとつ、著作人格権というものがある。

こちらは、 常に著作者に帰属し、譲渡することはできない。

著作人格権に関する法解釈は非常に複雑であることと、アメリカは著作人格権の概念がほぼないことに注意が必要だが、重要なのは氏名表示権と同一性保持権である。

前者は、「どのように著作者名を表記するか」を決める権利である。これを決めるのは公表時である。 これは著作人格権であるから譲渡できない権利であり、表示することを決めたにも関わらず表示せずに公表することもできない。 だから、 例え著作権を譲渡したとしても、自作発言はどのみち容認されないので、著作権を保持するかどうかの文脈で言及するのは誤りである。 なお、これは著作人格権の一部、つまりは著作者の精神を守るものであるから、公表時において表示すると決めた以上は表示しなければならないし、以降その著作者が何者であるかを隠蔽することはできないのだが、「公表時に表示すると決めたのだから常に表示せよ」ということにはならない。あくまでこれが機能するのは「公表時」だからだ。ただし、表示する場合は公表時に限らず公表時に定めた表記でなければならない。

氏名表示権は後述する同一性保持権と違い、著作権者の意に反しているかどうかという点が問われない。だから、例え著作者の同意があったとしても、著作者でない者を著作者として表示することはできない。もちろん、そのように誤認させるような変名を著作者名として使用することはできるが、 なにをどうやっても他者の著作物を自作であると発言することは許されないのである。

もうひとつが同一性保持権だが、こちらは作品を無断で改変されない権利である。 この権利は 著作権者以外が作品を改変することができないということを意味しない。 無断で、つまり、著作者の主観的意思を尊重せずに改変できない、という意味だ。 画像のリサイズは判別に支障が出るような話でなければ同一性保持権には関わらないはずだが、アイコンなどの場合、常にクロップされたり、文字入れがなされたり、あるいは背景色が変更されたりといったことが起こりうると考える必要があり、非常に無駄な作業にも思えるが、契約時にはこれらの改変がある前提であるという合意を得なければならない。 逆にいえば、これは著作人格権に属するものであるから、仮に著作権を全面的に譲渡したとしても、なお合意なくしてはできないということを意味する。

また、著作人格権にそれ以降の著作物の利用を拒否する廃絶請求権というのがあるのだが、こちらは出版物に対してのみ有効である。だから、著作権を譲渡した場合は著作者の意思によって「もう使わせない!」というのはできないし、許諾した場合でも契約に関わるものであるから一方的にそのように決められるものではない。

こうしたことはクリエイター、及びクリエイティビティに関わる人には知っておいてほしいことだ。

なお、私としては、マスコットキャラクターとしてそれ自体を商品として展開し、公式に様々なイラストレーターによりコンテンツ価値を高めるようなケース(初音ミクみたいな)ですら権利の全面的な許諾で事足りるので、「著作権を譲渡」というのはトンデモ案件だと思っている。

本作品のおはなし

本作品はさふぁいあさんによって著作され、私が恒久的なアイデンティティピクチャとしての利用、及びそれに伴う諸権利を許諾されたものである。

ちなみに、見積もり依頼で示した契約内容は結構長いのだけれど、大部分はこの権利関係の表示であり、著作物の内容に関する事項は前述のとおりごくわずかであった。

私の意図としては、私があれこれ注文することはその作品に対して良い影響を与えないという判断と、さふぁいあさんの今持てる力を存分に発揮してほしいというところにある。 そのため、要望はとても少なく、納期もなるべく長く、としてその完成を楽しみにした。

実はラフの段階でその要望との競合があったため、その点に対するリテイクをつけるかはちょっと悩んだ。 完成したものを見てもらうとわかるように、猫である。実は「人間の」という条件は、さふぁいあさんの作品が割と獣人率が高い(最近はそうでもない気がするけど)ということも考えた上でのものであったため、基本的に好ましくないと考えていたのが前提である。

ラフをみたときには、「猫でないほうがすっきり見えるのでは?」という気持ちもあった。イラスト作品として、ということであれば、そちらのほうが有力な考え方であった。 だが、小サイズのアイコン向けにクロップしたものを作り、またアイコンサイズにしてみたときにその考えを改めた。色使いが淡めであるため、アイコンとしての映えとしては耳があったほうが着色面積が広がり、また描画要素が増えるため少し多めに要素を入れられる(つまり、より縮小して広い範囲を見えるようにできる)ように思われた。 特に大きな点として、傾きがあるので結構小さなアイコンでもぎっしり詰めやすいのだが、頭が切れるくらいのクロップを狙う場合、手が認識できる程度に含まれたいと考えると耳がないと左上の空間が空く。

全体だとしっぽがないと右下の空間があく。これもバランスとしてはいまいちで、背景を入れるなら良いが、単独では寂しくなる。これらを考えると「なければすっきり」はするが、あることを前提としたバランスであると考えられる。

それに獣人イラストが多いということは、それだけさふぁいあさんにとっての「魅せどころ」でもあるし、猫にした理由も「ならぜひ」と言いたくなるようなものであったから、検討事項の割には短時間で(だいたい3時間くらい)そのままGoと相成った。

もう言に及ばないが、本当に素晴らしいイラストである。 かわいらしく、満点に素晴らしい、というよりほかになんと讃えてよいものやら。 アイデンティティピクチャはピクチャサイズの関係上、きつめにクロップせざるをえないことが多いのだが、それでとてももったいない。みんなにフルサイズでじっくり見てほしいものだ。

なお、今のところ採用が決定しているのはTwitter6, YouTube, GitHub, GitLab, Telegram, Discordと、会社でのいくつかのアイデンティティである。

Finally

アイデンティティピクチャを描いてもらうというのは、一般に考えられるよりは重い話である。

実際、活動家のアイコンに使われたためにそのアイコンを書いたイラストレーターがそのような思想の支持者であるように捉えられてしまった、などという話があったりするし、そうでなくともそれをアイデンティティとして使う以上、どうしてもそのイメージは作者にまで影響を及ぼす。 だから、あまりだらしのないところを見せては作者に迷惑をかけることになりかねないのだ。

私としては、このように素晴らしい、珠玉の作品を使わせていただく以上、それに恥じぬようより一層の精進に励む所存である。

最後になったが、このような素晴らしい作品を仕上げてくださったさふぁいあさんに厚く御礼申し上げると共に、今後の一層のご活躍を願ってやまない。 また、さふぁいあさんは大変素晴らしいイラストを生み出されている方なので、繰り返しになるが、今のうちに注目しておくべき人だ。 まだチェックしてない人は、ぜひ彼女のTwitterを見てみて欲しい。素晴らしいイラストがいくつも掲載されている。 もしこの記事で初めて知ったという方がいれば、ぜひ一度注目して見ていただければと申し添えて結びとしたい。


  1. この発言は私のアーティストとしての性質を考えるになんとも自虐的な言い方だが。↩︎

  2. これはどなたに依頼するかを含めて相当前から決まっているのだが、なかなか企画がまとまらないのと、私が原稿を書けていないこと、収益性がないのに結構なコストがかかりそうなことから先延ばしになっている。↩︎

  3. これは脚注で後述する通り、この場合の「高い」というのはネガティブよりはポジティブな要素であると考えて良いだろう。私としてはプロフェッショナルとしての仕事を期待するし、仕事の完遂に対する責任感がなくては困ってしまう。であればプロの仕事として成立する、つまり活計たりえるプライシングとマネタイズ手段であってもらわなくてはいけないし、ということは趣味としての余事であることを前提としなければ成り立たない価格では発注できない。内心としては、そういうレベルの見積を提示された場合、大幅に上乗せした上で全力投球してもらうことを打診するつもりであった。↩︎

  4. なお、Mimirの料金は表面上この4000円という勘定は前提になっているが、現実にはサービス提供にかかる時間もあるのでその半分行くかどうかというあたりである。↩︎

  5. これはアートワーカーとっての概念的な「丸一日」であり、必ずしも8時間であるという意味ではない。能力次第ではあるものの、一般的にはアートワーカーが一日を費やしたといえば15時間くらいは作業するし、場合によっては24時間を越えて1日をカウントしたりすることもあるから、時給にすると結構厳しいことになりがちだ。まぁ、それは宿命なのだろう。もちろん、普通に考えれば時間単価を上げることで概念的な丸一日で割っても時給換算でも安くなりすぎないようにするのが妥当なのだが、一般的にアートワークは非常に長い時間がかかるので販売戦略上非現実的な価格になりがちで難しい。音楽でも時給では考えたくない感じだし、より時間のかかる精密な絵画や動画だったりするとより大変なのではないだろうか。↩︎

  6. 実写写真を使っているTwitterは採用しないつもりだったのだが、ブランディングとしては重要なので試しに採用することとなった。このまま定着するかもしれない。↩︎