Chienomi

なぜ昔、「ワープロ専用機」が流行ったのか

技術::hardware

コンピュータの万能性を支えるもの

ここに来ている以上、あなたはコンピュータを普段使っていることだろう。 その感覚から言えば、コンピュータは強力で万能である、というような印象を持っているかもしれない。 そして、そのような人たちの感覚から言えば、かつてただ文章を書くためだけの「ワープロ専用機」が流行った (しかもパソコンよりも後の時代に)というのは理解しづらいだろう。

「なぜそう思うのか」という点を掘り下げてみよう。

あなたがパソコンに万能性を感じるのは、それだけパソコンで多くのことがカバーできるからであり、なおかつ実際にその用途に供しているという事実があるからだろう。 実際にパソコンを使うことが可能であるという状況がない、つまりはパソコンが難しすぎて使えないと感じている人がそのように感じるのは難しい。

また、その前提としてそれだけ様々な用途に供することができるだけの能力を持っているということも必要となるだろう。 当時のパソコンはあまりにも非力だったので、できることなど極めて限られていた。 ゲームであればその計算能力に合わせた作品を作れば良いということになるのだが、実用的な意味では能力的にできないことがあまりにも多かった。 一般的に言われるように、パソコンの飛躍的な性能向上により様々なことができるようになったのであり、1980年代のパソコンというのは非力すぎて大した用をなさなかった。

しかし、純粋に「性能」の問題であるとは実際には言い難い。今に至っても、コンピュータはどちらかといえば通信機器という意味合いが大きく、しかもそのほとんどはウェブが占めている。 では、あなたはそのコンピュータ、に留まらずあらゆる機器をネットワークから切断し、純粋なスタンドアロン環境にした上でコンピュータを存分に活用することができるだろうか?

純粋なスタンドアロンでまるで退屈せず、有り余る計算能力をフルに活用し実用的に利益を得る、ということができるのは相当な手練だろう。

1980年代、コンピュータネットワークははるか遠い夢だった。後半になればパソコン通信が登場するが、そこに手を出すことができたのは本当にマニアだけだ。そして、インターネットが登場した1990年代後半ほどの勢いはないにしても、1980年代後半から従来とは比べ物にならない速度でパソコンは普及した。

スタンドアロンでは本当に使いみちが限られていたが、他に代替できない先進的なコミュニケーションデバイスということになれば、それは誰もが体験可能なものであり、そこに踏み出すことができるのであれば誰もがそこに特別な価値を見出す余地があった。

だが、誰もがコンピュータに通信機器としての可能性を疑わなくなったのはインターネットが普及した後の話だ。 1995年発売のWindows 95にはインターネット機能がなく、別売りの拡張機能であった。Windows 95にインターネット機能が組み込まれたのは、1996年末のOSR2以降だ。 つまり、その頃はまだインターネットは「当たり前のもの」ではなかった。といっても、Windows 95を使う者のうち、ギークなユーザーは当たり前にインターネット機能を求める程度には高い要求を持った状況ではあった。

しかし、Windows 95時代はまだ大衆向けの販売は「年賀はがき作成」に寄っており、プリンタと年賀はがきとセットで売り、そして大抵置物になるというのがお決まりであった。インターネットを販売の宣伝文句に使うようになるのはWindows 98の頃だ。

本当に誰もがプログラミングしていたのか

昔のパソコンを使っていた人たちは、そのパソコンで何ができるわけでもないので自分たちでプログラミングしていた、というのは事実だ。 だが、それは当時誰もが能力が高く、当たり前にプログラミングができたという意味ではない。 そこまで意欲が高くない人だっていたし、マニュアルどおりの操作(といっても今からすれば結構難しい)でゲームするだけの人であったり、プログラミングだってただ本に書いてあるものを写すだけの人もいた。

ノーコードプログラミングは今になって登場してきたかのように言われているが、実際のところその頃にはもうとっくにあった。 それだけでなく、「誰もが書ける簡単な言語」というのももっと昔に登場している。 そして、それらが幻想であることはその度に証明されてきた。

パソコンを使いこなすには事実、プログラミングスキルが必要であった。 だが、それは誰もが当たり前に持っているものではなかった。 当時はパソコン自体がギークなガジェットだったから、全ユーザー人口におけるプログラミング人口の割合が現在より高いのは当然のことだが、「誰もが」というのは相当盛っている。 ゲームしかできない人、プログラミングはしない人のほうが圧倒的に多かった。

そして、プログラミングしないのであればパソコンは「なんでもできる」というよりも、「ゲームくらいしかやることがない」という、非常に高価な割に役に立たない、特に実用的な意味でコンピュータを見ている人にとっては「何もできない」に等しいシロモノであった。

結局何もできないのでパソコンが必要でもなかった。 だから一般の人にとってはパソコンは使い甲斐がなかったのだ。

パソコンがない世界線におけるコンピュータの意義

当時はコンピュータがなかった、という言い方で言えば、当然ながらあらゆるものは手書きであった。 コピーというのもそこまで一般的ではなかったので、カーボン紙による転写も、まあまあよく使われていた。 文書編集においてコンピュータの利益は非常に大きく(といっても現在のようにスクリーンで自在に編集できたわけではないが、段落を入れ替えるぐらいのことはできた)、また帳簿なども手書きで計算すると間違えることが多く、自動計算できるのは魅力的であった。

オフィススイートというのは、当時手でしていたことをそのままコンピュータに置き換えることであり、当時誰にとっても明らかに大きな利益を得られることだった。 コンピュータが一般的でない以上、コンピュータでできることのイメージというのはSFなど創作物のイメージのほうがずっと強い。コンピュータを使うからこそできることというのは到底イメージできないし、同じことでもコンピュータの流儀があったとしても全く馴染めなかったのだ。

それと比べれば「手書きでしていることが、コンピュータを使えば能率的になる」というのは非常に分かりやすく、イメージもしやすく、明確な利益として捉えられる。 自主的なユーザーは多く20代から30代あたりの者であったが、オフコン導入からはじまり「使うべきターゲットユーザー」とされていたのは管理職の者や退職後の高齢者など、年齢層の高い者であった。

そのため、(ワープロ専用機を含め)コンピュータを使う意義を説明する上では、作文(小説や俳句などの執筆)が、簡単な語順を入れ替えたり、校正で中間部分を変更するなどができるというものが非常に良く用いられた。 今の人にはピンとこないかもしれないが、当時の40代以上の人は文通経験がある人が多く、作文は非常にメジャーな趣味で、日常的に文章を書く人はとても多かった。年長者がなぜかみんなゴルフをしていて、クルマのトランク容量がゴルフバックn個分と説明されるのと同じような感じだ。

だが、パソコンは高かったし、使い方も難しかった。 今のパソコン基準で「難しいか?」なんて思ってはいけない。当時はコマンドを打って動かすものだったし、単に使うだけでもプログラミング的要素が結構あった。ソフトウェア的にもハードウェア的にも動作させるために必要な知識は多かった。 今日常的にパソコンを使っている者でも、当時と同等の操作と知識を要求されたら脱落する者のほうがずっと多いだろう。

そこでワープロ専用機なわけだ。 特別な難しい知識を用いなくても、明確に利益を得られる道具である。

まずできることが明確に限られている。パソコンが実質的に得られる利益が限定だとしても、本質的にはどのように使うかを限定していないのに対し、ワープロ専用機はできることそのものがあくまで選択肢の中にある。 そのため、使いはじめるにあたり必要なことは与えられた選択肢から選ぶことでしかない。

さらに、できることが文書編集を軸としたものであり(というか、当初は文書編集しかできないものだった。MS Wordみたいな、ではなく機能的にはMSメモ帳並で、1行だけのラインディスプレイだったりした)、それによって得られる利益が簡単にイメージできた。当たり前にプリンタは内蔵、あるいは付属であった。

つまるところ、ワープロはコンピュータの一種というよりはタイプライタのようなものだったのだ。 タイプライタが広く使われていたということには、当然ながらそれだけのメリットがあってそのような専用機器が用いられた、ということはわかるだろう。 しかし、総文字数の少ないラテン圏の言語とは違い、日本語はタイプライタとは相性がよくなかった。和文タイプライタというのもあったのだが、少なくとも1000を越えるキーを持つ盤をタイプするわけで、非常に特殊な技能が要求された。 それにあまりにも巨大で重かったし、家庭で使えるようなシロモノではなかった。和文タイプライタは特殊技能であり職能だったのだ。

それが変換機能と印刷機能を持つワープロによって広くそのメリットが活かされることとなり、さらに編集機能というさらなるメリットも追加されたわけである。ワープロ専用機というのはタイプライタの進化系であり、また日本の環境に適応したタイプライタであると考えることができる。 和文タイプライタがあまりにも特殊なものだったこともあり、言ってみれば海外のタイプライタの流行が、ワープロ専用機によって遅れて日本で発生したという言い方ができる。だから、海外ではワープロ専用機はあまり流行らなかった。

1990年代になり、Windows 3.1のヒットによってパソコン、特にGUIを持つパソコンが普及すると(あるいはそれ以前からのMac Systemもあったが、非常に高価だったので憧れだった)パソコンを使う敷居自体が下がり、またパソコンの能力向上や普及によって広く様々なことができるようになった。 これによってワープロは1990年代半ばから高機能化の道を歩むことになる。だが、結果的にはこれがワープロのメリットであった「わかりやすさ」をスポイルし、高価格化が進むことにもなり(一方でパソコンとワープロソフトの低価格化も進み)、パソコンの劣化版のように見られるようになっていく。 売上が逆転したのは1999年のことだが、出荷台数は1989年がピーク、出荷金額は1991年がピークで、1999年にはもう各メーカーとも事実上ワープロ専用機からは手を引いていた。

パソコンの躍進によって(タイプライタが時代遅れのデバイスであるように)ワープロ専用機もまた時代遅れのものになっていったわけだ。 ワープロが高機能化し、パソコンの劣化版のようなものになったときには、もう完全に時代遅れになった後であり、その頃のことを引き合いにだすのはワープロ専用機を語る上であまり正しくない。

余談だが、ワープロ専用機はキーボードがふにゃふにゃで打ち心地がよくないものが多かった。 一方、昔のコンピュータはキーボードにものすごくお金のかかっているものが多かったので、パソコンが使えるのであればワープロよりもパソコンのほうがずっと使い心地はよかった。 私自身、JXのワープロソフトと巨大でとてつもないサウンドを奏でるプリンタで書いていた時期もある。

また、もうひとつ余談として、パソコンの躍進によってワープロが時代遅れになっていく機をうまく掴んだのは富士通であった。 富士通はOASYSというワープロ専用機を出していたのだが、印象深いのは1989年のFM TOWNSである。OASYSで採用していた親指シフトキーボードのモデルがあり、かなり積極的にOASYSからの以降を支援したし、煽りもした。 FM TOWNSはIBM PC/AT互換ではなかったのでオタク達にはそんなにウケなかったのだけど、実はおじさんたちは結構使ってる人が多くて、事務職OLでも使っている人が結構いたらしい。

「使えるもの」を求めた

使い物にならないパソコンではなく、メリットが明確にわかるワープロ専用機を求める、というのは何も不思議なことではない。

それは今だって、パソコンかスマートフォンかの二択を与えられたときにスマートフォンを選ぶ人が多いのと変わらない。 特にパソコンを主体的に使ったことがない人であればパソコンを得ることによるメリットは想像しづらく、スマートフォンは明確に利益がイメージでき、なおかつ使うことに戸惑いも少ない。 同じようなロジックで今はスマートフォンが優先されているのだ。

ワープロ専用機は当時、コンピュータなどというのが夢物語に登場するものだった人々が、革新的利便性を得られる道具として、そしてオフィスにおいて素晴らしい生産性をもたらすものとして登場し、もてはやされた。

その発想によって生まれたオフィススイートが今や生産性の足を引っ張る存在となっているのは、なんとも皮肉なことではあるが。