Chienomi

久しぶりのUbuntu、ひどすぎて困惑した

Live With Linux::software

AMFの検証のために久しぶりにUbuntuを使ったのだけど、Ubuntuってこんなにひどかったっけとなった。

私は5.04時代からUbuntuに触れたことがあるが、私の知る限り、特にUbuntuが使いやすい、強いメリットを持っているという状況になったことは一度もない。 むしろ、「え、なんでそこカバーしてないの?」という気持ちになった記憶のほうがずっと多い。

より厳密な話をすると、「最初から日本語表示・日本語入力ができてないと使えない」というi18nでなくl17nを求める日本語化要求があり、その基準で言うと日本語対応しているディストリビューションは非常に少なかったので、Ubuntuに日本語REMIXがあった時期はその数少ないもののひとつであった、という面はある。 単にインストールして設定するだけの話なのだが。1

だが、私の記憶の限りUbuntuの問題は「ちゃんとカバーしていない」「やるべきことをやっていない」というダサさにあるのであって、邪悪の類ではなかった。 ところが、今回触った印象は、より「間違ったことをしている」という方向であり、「やるべきではない余計なことをしている」が加わっていた。

今回気づいたポイント

インストール操作

すべてのディスクを使い切っている状態だと、インストール時にデフォルトでWindowsの入っているディスクを削除し、Ubuntuをインストールしようとする。

手動で設定しようとした場合、パーティションへの操作は適用動作がなく、パーティション設定した瞬間に反映する。 これはかなり危険である。

このpendingしない仕様と絡んで、パーティションにLUKSを設定した場合、ただちにLUKS formatを行い、さらにLUKS openも行う。 インストーラ上でこれをcloseする方法がないため、LUKSを設定してしまうと取り消しが一切効かない。

LUKS上に/を切ると、/bootを要求してくるが、ESPを/bootにすることができない。 というよりも、ESPはマウントさせてくれない。

そもそも、GrubではESPにはブートに必要なイメージを含められるわけで、この時点で/をマウントし、カーネルを読むことができるから、/bootを別途切る必要性は全くない。これは間違ったことだが、いずれにせよ/bootを別途切ることを要求される。

そして最も重大な点だが、ブートローダーをインストールするディスクを選択しても、これを無視して最初に見つけたESPにインストールする。

「すでにシステムがインストールされているコンピュータに、暗号化したシステムをインストールする」というのは何も珍しいことではなく、ごくごく普通の要求だ。 実際、Calamaresならディスクの選択を慎重に行う程度で、難しいことは何もない。

ところが、Ubuntuではその実現にかなり細かい知識を必要とするし、実際の挙動が正しい挙動ではないため、様々なケースを推測できるだけの知識も必要になる。

ついでに言うと、「Ubuntuをインストール」を選択して進んだ場合、他の操作が一切できないようになっており、裏でカバーするにはコンソールに落ちるしかない。

ログイン時の要求

まるでWindowsのような(本質的に必要ない)初期セットアップ手順が用意され、オンラインアカウントへのログインを要求するほか、ユーザーの情報収集しようとする。

Windowsの悪いところを見習っている感じである。

デフォルトソフトウェア

入っているものが随分と絞られており、すごく使いにくい。 デフォルトセットは基本的にディストリビューションの性格を示すもので、openSUSEやManjaroなんかはわかりやすい例なのだが、ユーザーがどのように使うかを想定した上で選定するのだ。なにせ、イメージ容量の問題もあるのだから。

ところが、Ubuntuはffmpeggitも入っていない一方で、Build Depsとして入れておけばいいようなビルドツールは一式入った状態になっている。 ところが、実際にソフトウェアビルドで必要になるNASM/YASMなどはなく、中途半端。

Bashの設定ファイルは、優れたシェル環境を構築する文化がなかった時代の古いものになっている。 今どき、Bashでももっとまともな使い勝手のデフォルト設定になっているのが当たり前で、Bashの設定にあまり力を入れていないArchでさえももっとまともな補完が効く。

なお、日本語入力はデフォルトで入っていない。

変なWindowsイズム

amdgpuが入っておらず、まともにグラフィックが出ない。 これは、公式リポジトリにもない。

AMDの公式サイトにamdgpu-installというスクリプトが置かれていて、これを使ってインストールできるのだが、amdgpuは外部ソフトウェアではなく、LinuxカーネルおよびMESAの一部である。

つまり、AMDから入手しなくても、Linuxのカーネルの一式の中に含まれているし、MESAの一式の中に含まれている。そしてこれらはオープンソースである。

それをわざわざ、「AMDの公式からダウンロードしてインストール」というWindowsと同じ手順にしてあり、しかもUbuntu側でパスを用意していない。

Windowsの真似をするのがそんなに良いことか?

スクリーンショット

スクリーンショットの挙動が、Windowsと同じ「クリップボードへコピー」である。 保存することはできない。

なお、デフォルトでペイントツールはないため、クリップボードにコピーされても保存する方法に困る。

だいたい、Windowsでスクリーンショットがクリップボードへコピーなのは、Windowsの悪しき伝統を引き継いでいるだけで、それに特別なメリットがあるからではない。 WindowsだってXBox Gamingスクリーンショットで直接保存になっているのだ。

Gnomeってそういう設定なのかな? と思って確認したのだが、Gnome Screenshot自体が入っていないので違いそうだ。

ライブイメージのシャットダウン

状況により不整合を起こして止まってしまう。 特にインストール作業を中断すると発生しやすい。

こうしたアラの多さは昔からUbuntuの特徴のひとつであった。 一般には大規模に開発されていて、品質が高くstableだと見られていたのだが、実際は手の及んでいない部分が多く、検証の甘さを感じることが多い。

問題の焦点

基本的に、Ubuntuがどれだけ間違ったことをしようが、批判するようなことではない。 本来、「Ubuntuは出来が悪い」の一言で済むからだ。

しかし、Ubuntuだとちょっと話が違ってくる。 日本はLinuxリテラシーが低いというか、そもそもLinuxデスクトップユーザーの比率が低い部類で、Linuxの認知度も低い。まぁ、ヨーロッパの一部の国が高いだけとも言えるけれど。

その関係で、特に非LinuxerにとってUbuntu=Linuxというイメージを担っている部分がある。 なので、感情的な話として、「Ubuntuだけを見てLinuxを語られるとすごく困る」というのがあるのだ。 Linuxの良さがまるで出ていないのだから。

しかし、もしかしたらそれは杞憂なのかもしれない。DistroWatch.comのページヒットランキングだと

  1. MX Linux
  2. EndevourOS
  3. Mint
  4. Manjaro
  5. Pop!_OS
  6. Ubuntu
  7. Fedora
  8. Debian
  9. Garuda
  10. Lite

とUbuntuそんなに人気でもない。

Ubuntuより上位のディストリビューションを解説すると、MX LinuxはかつてはSimplyMEPISと呼ばれていた上位常連の人気ディストリビューションの後継(Debian Stableベース)。

EndevourOSはArchlinuxのセットアップサポートがついたもの。Antergosの精神的後継。

Linux MintはUbuntuをより「ユーザーフレンドリーに」仕立てたもの。UbuntuベースとDebianベースがある。CinnamonとMATEの開発元でもある。

Manjaro LinuxはArchlinuxに対するMint的アプローチを採用したもの。

Pop!_OSはUbuntuベースのディストリビューションで、System76が販売するPCにプリインストールされている。 GNOMEベースのUIがカスタマイズされていて、よりシングルウィンドウ向きになっている。

言い換えると、上位はベースがDebian, Arch, Ubuntu/Debian, Arch, Ubuntuとなっている。 9位のGarudaもArchベース。10位のLinux LiteはUbuntuベース。

ArchよりArchベースのディストリビューションが上位に来るのは、Archのとっつきにくさを考えると何も不思議はないが、人に優しいと謳うUbuntuよりもUbuntuベースのディストリビューションが上に来るのはそこそこ笑い話だ。

余談

私は今回Ubuntuでの検証のためにいつぶりだか分からないレベルでmakeを叩いた。

ManjaroだとmakeするくらいならPKGBUILDを書くほうが楽で、そもそもそんなことをするまでもなく(動く動かないに関わらず)大抵はAURにあるし、AURにあるなら動かなくてもほとんどの場合はPKGBUILDをちょっといじるだけなので、自分でmakeを叩かない。

公式リポジトリも貧弱で、公式パッケージの数が特段多いようには感じなかった。

もう7年くらいManjaroとArchだけを使っていて、慣れてしまったからだろうか。 確かに昔のLinux環境は割とこんな感じだったけれど、「今の時代でこんなんなの?」という気持ちになってしまった。 単純にArchが楽園すぎて、他の現実が見えてないだけかもしれない。でも少なくとも、素のLinux環境でももっと使いやすいので、パッケージ周りはともかく、Windows11みたいなふざけた使い勝手になっていたりはしないはずなのだが……

Ubuntu、なんでそんなに人気なんだろう? 私はよくわからない。単にニュースで取り上げられたために認知度が高いというだけのことなんだろうか。

最後にひとこと

Manjaroが快適すぎて、苦労を完全に忘れていた。

普段Manjaroを使っている感覚が「今のLinuxの体験水準」だと思ってしまっていたため。