もはや国の体をなしていない、国民を虐げる国ほか デジゴトまとめ
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「静止画のダウンロード違法化」 被害者であるはずの漫画家たちから猛反発
「海賊サイト対策」として静止画のダウンロードも違法化しようという法案が出ていた。 これに対しては、「被害者」とされる漫画家たちから激しい反対が出た。
だが、この反対を受けて「悲痛でない」あるいは「適切でない」という判断がなされていたわけではない。 漫画家たちの声は基本的に無視された。
結局のところ、これは「フィルタリング」と称した、「海賊版対策」という大義名分のもと行われる検閲の推進であった。 検閲を可能にするために根拠を作ろうとしたわけである。
結果的に断念したようだが、ところが…
日本政府、全国民のウェブ閲覧の検閲を開始。 HTTPSも傍受
「海賊サイトの遮断」を大義名分として、通信を監視し、さらに通信を改竄するという内容で、 しかも「とにかく実施、問題点は後から考える」という強行である。
もはや憲法を遵守する気は微塵もないようだ。 そして、コンテンツブロッキングであれだけ紛糾したことを真摯に受け止めるどころか、「静止画ダウンロードで口実を作ろうとし、それもダメなら強行でやってしまう」という非常に恐ろしい状態になっている。
HTTPSに関しては政府が発行する証明書がブラウザに組み込まれていることから、中間者攻撃によってジャックし、なりすまして検閲・改竄する、ということのようだ。
これは、やっている内容は中国の検閲・監視システムである金盾と同じである。
読売新聞、「消えるSNS」なるタイトルで暗号化を批判
基本的に読売新聞というのは極めて自民党寄りで、およそ政府広報のようなものだと思えばいい。 政府の意向を正式発表前に伝えることも多いし、私が印象的だったこととしては、民主党が大勝した衆議院選挙において、TOKYO FM(読売新聞運営)で街頭インタビューと称して「民主党は信用できない」「民主党に投票する者は愚かだ」といったコメントのみを紹介し、「国民は圧倒的に自民党支持」「民主党を支持している人はほとんどいない」という説明をスタジオでした、ということだ。 (繰り返すが、このとき結果は民主党の大勝であった)
で、その読売新聞が、安全なメールシステムであるプロトンメールを「消えるSNS」と紹介。 「捜査の支障になる」として暗号化は悪であるという論調でいつもの断定を展開していた。
結局この記事はいろいろな問題 (例えば「地下にサーバーを設置」などという言いがかりによるイメージ攻撃を含む) によって炎上したのだが、読売新聞は記事を撤回すると共に 各種まとめや反応などを検索エンジンに掲載されないように工作した という事件である。
前述の通り政府は極めて強力に検閲を推進しており、「暗号化は検閲の支障になる」という話はその意向と一致している。 そして、そのようなことを平然と言う国であれば暗号化は絶対不可欠であると言っていい。 「暗号化がなくても良い国」というのは「国民の秘密やプライバシーは何者であっても、国家であっても決して侵すことのできない聖域である」というのが当たり前の認識として存在する国であって、検閲の支障になるから暗号などけしからんなどと言ってしまう国だからこそ暗号が必要なのだ。
総務省、IoT機器への攻撃
これについては先日の記事に出したので、そちらを参照のこと。
MicrosoftのKenneth Auchenbergさん、「MozillaはChromiumを採用すべき」と主張
私見だ、ということを事前に強調した上で発言したことからも、炎上するネタだということは認識しているようだし、 であれば批判するようなことではないのだが、それでも明らかに間違っている。
Googleが完全に支配する世界にしないためにもFirefoxの存在は重要であり、またChromiumの独占となった場合ウェブは標準というものはなく、単なるベンダーロックインされた技術になるだけである。 そうなればウェブそのものが衰退するだろう。
炎上したのは、単に「内容がひどい」というだけでなく、「知識が甘い」という部分もあったようだ。
Mozilla開発者、「面倒な互換性問題に巻き込まれたくないから」Chromiumのバグを直す
最後はちょっとおもしろいニュースだ。
タイトルの通りで、CSSの@support
のバグを、Chromiumの実装はリファレンスとしてバグであってもそれが正しいように扱われてしまう現状を鑑みて、Firefox側でそれに対応した互換コードを追加するくだらない作業を避けるためにChromiumのバグを直接なおす、という方法に出たようだ。
注意
今回の記事は全体的に裏取りや検証が甘いので、ソースとしては使用しないこと