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事業をすることについて、Mimir Yokohamaについて。

お仕事(Mimir Yokohama)

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これを書くことにした理由

起業に関する記事は、時折見ることがある。

商工会にいるときは割と見る機会も多かったし、Twitterでちらほら流れてくることもある。 私自身、起業を勧めることもないではない。

でも、あまり起業に関する文章を見るのは好きではない。

多くは考え方が甘ったるく、また自己陶酔的だからだ。

だから、ちゃんと何を考え、どうするべきなのか、現実はどうなのか、という話をしよう、と思った。

Mimir Yokohamaのページでする話でもないし、多分Journalでする話でもないから、ここでするのが適当だろう。 私のことで聞きたがる人がいるとしたら、単なる経営者としてではなく1、技術者としてだろうから。

別に経営者は「えらく」はない

“労働者 < 経営者”の図式を持って、起業すると人より上にたったような気になる人が結構いるのだが、そんなことは全くない。

言ってみれば、優秀な労働者とは金将・銀将であり、独立して経営者になる、とは歩兵になるようなものである。 そこからと金になれるかどうかは、その後の話であって、起業しただけではグレードダウンしているのだ。 さらにいえば、普通は起業することで収入もグレードダウンする。

音楽家とか、作家とか、漫画家とか、アイドルとか、ポピュラリティのある人がもてはやされ、その発言が金言であるように扱われることも多いけれど、 そんなことは全くなくて、その専門的スキルの外においては特段の価値があると保証されるわけではない。

別にすごくかわいいアイドルや大人気YouTuberが言うことならなんでも正しいわけでもない。

経営者が言うことも、労働者が言うことよりも正しいわけでもない。

典型的経営者の話

結構、「おもしろそうだからやる」「お金が欲しいからやる」「モテそうだからやる」みたいな人が多い。

基本的にその発言傾向はニートと似ている。

ただ、違いがあるとすれば、お金に対する執着であり、商才に関するものだ。

基本的に経営者でうまくいく可能性が高いのは商人である。 お金に執着し、お金のために自己と他者をどれだけ犠牲にできるか、というところが問われる。 また、お金の臭いに敏感で、すぐにキャッチできることもだ。

商才がある人は儲けていくし、なければ「飽きたからやめる」「儲からないからやめる」「つまんないからやめる」「大変だからやめる」みたいなことになる。 実際そんなケースがとても多い。

そして、これには中身がないのだ。

なにをしたいか、というのが自分がどうなりたいか、ということであって、 直接的な関わりの中で何をなしたいか、というのがない。 社会にどうしたい、ということしか出てこないのもそうだ。

直接的なアクションが何を目的としているのか、というのが直接的な受益者をどう変えるのか、という話がなかなか出てこない。

私は「技術なんて求められてない」「技術なんて必要とない」と言った経営者のことを忘れていないし、許す気もない。

経営の現実

冒険したくないなら、特別な意思がないなら経営なんかしないほうがいい。

まず働いたらお金がもらえる、という前提がなくなる。 何百時間働いて数百円の売上、収支は赤字とか普通にある。

労働時間で守ってもらえることもないし、社会保障もなくなるし、 社会的にもより厳しい条件になる。

したいことができる、と思うかもしれないけれど、どちらかといえばしなければならないことが圧倒的に増えるのでできることは限られる。 内容は自由になるけれど、「したいことをして過ごす」わけにはいかない。やらなければならないことにしたくないことがどうしたって大量に紛れ込むからだ。

志高い人は、技術や実、人のためになることがお金につながるわけでもないということも心しておかないといけない。 もちろん、それは飯の種にはなるのだけど、そんなことより詐術のほうが余程お金に変わる。

それでも経営する理由

私だって経営がしたいわけではないのだけど、自分の望むことを叶える方法が唯一経営だったということでしかない。

経営をすることは、 社会の既存の枠組みやルールから逸脱できる ということだったりする。 自分のしたいことが今の社会で実現する方法がないのなら経営してしまえばそこから外れた枠組みを自作することができる。

パソコンを自作するのは面倒だ。ありものを買ったほうがいい。 けれど、パソコンを自作すれば既成品とは異なるものが作れる。

自動車を自作するなんてもっと大変だ。 でも自作された自動車はメーカーが絶対に作らないようなものだって可能だ。

経営するということは、働くということを自作するということだ。

成功は保証されていない。報われるとは限らない。 だから報われるために努力するのであって、そこまでして為したいことがあればこそ、なのだ。

私は、IT企業の構造が嫌だった。 いつの間にそんなにつまらなくなったのだろう、創造性はどこにいったのだろう、ガチガチに縛ることばかり好きな人だけになってしまったのだろうか、そんなことを思った。

技術のない人の欺瞞が嫌だった。 無知につけ込んで実に関係なくお金をとり、売れれば騙そうが構わないと考える。 さらに無責任のおまけまでついてくる。

コンピュータのことを嫌い、怖がる人々が辛かった。 この面白さが伝わらないのが悲しかった。

そして、私自身にしたって、「変わっている」ことを理由に否定されるだけなのも辛かった。

なら、私が持ちうるものを、人々を幸せにするために使いたかった。

別にそのほうが儲かるとは考えていなかった。というよりも、技術力だけで叩いていけばお金はとれるという確信があったので、お金に関しては大幅に妥協することを覚悟していた。

何度か言っているけれど、自営業になったこと、Mimir Yokohamaをおこしたそもそもの理由はそんな志の高いものでもなくて、 もともとは音楽市場縮小で食べていけなくなったからだし、恋人ができたときに仕事の間は別々というのが嫌だからだった。

でも、なにをするかはそれでは決まらない。 なにをするかは、祈りに近い気持ちを込めていた。

中身のある経営というのは、少なからず今の社会に対する不満があって、その社会の中でなにかを実現したい、なにかを変えたいと思うからこそのものだと思う。

だから、なにが流行りそうだ、今のトレンドはどうだ、何が儲かりそうだということでビジネスをはじめることには私はどうしたって眉をしかめる。 あなたの志は?と思ってしまう。

起業するんだったら

もし、あなたが今の社会に不満を持っていて、 それに対して具体的なビジョンがあって、 そのビジョンが誰かによって変革されることではなく自分が具体的な実現の手段を持っているのならばやったらいい。

あるいはあなたが冒険者であり、かつ優れた業師であり、だれもそれを使いこなせる経営者がおらず、 かつ経営などという余事に力を割いたとしてもそのほうが多くを発揮できるのであればやったらいい。

別にそれが偉いわけでも、人の上に立てるわけでも、自分がすごくなれるわけでもないし、 お金持ちになれるわけでもモテるわけでもないけれど、 やり場のない気持ちを押し殺しているくらいならやればいい。

そうでないなら誰かを犠牲にして悦にひたることになるだけだからやめておいてほしい。 もっとも、そんな人は止めたところで聞きはしないのだけれど。

せっかくだから、人に喜ばれて、人を幸せにする仕事をしようじゃないか。


  1. そういうのはすごく儲かってる人に聞くと思う。↩︎